《4》
キャピタルホテルの「オリガミ」は、広かった。土曜日だというのに、スーツ姿の人がたくさんいた。もちろん、誰もがお見合いというわけではない。
「殿村さーん」
立ち上がって、手を振っていたのは、事もあろうに楺井部長だった。その横に、メガネをかけたぼさぼさ頭の小柄で顎の細い男が座っていた。
「なんか、かわいいじゃん」
楺井は未知の首から下を見て言った。未知は新しいワンピースを着てきたことを、激しく後悔した。何よりも「この見合いに期待している」と思われるのが嫌だった。
満足げに頷きながら、楺井は言った。
「まあ、あとはお二人で。僕はここまでの約束だから」
「えっ」
それも困る、と未知は焦った。初対面の男性と、それも専務の息子と、何を話せばいいのか。
「高井…のぞみと言います。希望と書いて、のぞみ、です」
「え… ひょっとして1992年生まれですか」
「そうです。3月21日生まれです。新幹線ののぞみができて、一週間後だったらしくて」
「へえ」
高井専務の鉄男ぶりに、未知はちょっと笑った。が、笑ってはいけないと唇を横に引いて固めた。
「いやー、なんか話合いそうですねえ。よかったよかった。じゃ、よろしく」
小さな黒いポーチをもち、一層おなかが強調されているニット姿の楺井はよいしょとソファーから立ち上がって、伝票をもって出ていった。
沈黙が少しあった。未知はそうそう、と思い出した。
「私は殿村未知です。未来の未に、知るの知」
「あ… はい」
相手は5つも年下だ。なぜこんなお見合いが仕向けられたのだろう。でも年下なのだから、この場としては自分がリードしなくてはならないのではないか、と未知は気負った。
「あの、希望さんも、鉄道がお好きなんですか」
「いや、まあ。どちらかといえば、景色ですね。あちこち、写真を撮りに行ったりはするんですけれど」
「へえ…」
話が終わってしまった。いやいや、聞かねば、と未知は思った。
「最近、どこへいらっしゃったのですか」
「最近ですか。最近は…⚫︎✖▲」
「え」
聞こえなかった。希望は声が小さいのだ。未知は迷ったが聞き返した。すると、今度は少しだけ大きい声で、こんな答えが返ってきた。
「嵐電。京都です。夜、鳴滝から桜のライトアップをするのがすごくきれいで」
「桜… おひとりで」
「いえ、彼女と」
「は?」
未知は驚いて大きな声を出した。何それ?、と突っ込みたいところだった。なぜ彼女のいる人が見合いに来るのだ。希望は続けた。
「去年の今頃の話です。別れたんです。それで別れてしまって、もうどこに行くのも嫌になってしまって」
「… そうでしたか。変な事聞いてごめんなさい」
「いえ、いいんです。立ち直らないといけないですから。両親にまで、心配をかけてしまって」
「どこにも行きたくないって、会社とかは」
「僕、職人なんです。靴を作ってます。まあ、作ってる間は、無心になれるっていうか。まあ…」
「そうなんですか」
未知はちょっと希望のことが気の毒になった。自分も、18歳の夏、好きだった田沼耕を失った。まあ、彼は突然、事故で死んでしまったのだけれど。
でも失恋って、どんな形でも、相手が突然死んでしまうのと同じだ。
突然、いなくなってしまうのだもの。
そんなことをぼんやり思い巡らしていると、ウエイトレスが立っていた。
「ご注文は」
「あ、あの、ハーブティーはありますか」
「レモングラスとカモミール、ミントがございますが」
「ミント・ティーでお願いします」
すると、希望がちょっと微笑んだように言った。
「あ、同じだ」
耕もミントが好きだった。そんなことを突然思い出して、未知はなんとなくかすかな運命のようなものを感じた。
お互いに、好きだった人を忘れるために、時々会ってもいいかもしれない。そんなことすら、思えてきたのだった。
To be continued…
★この物語はフィクションであり、実在する会社、事象、人物などとは一切関係がありません。
作者プロフィール
森 綾 Aya mori
https://moriaya.jimdo.com/
大阪府生まれ。神戸女学院大学卒業。
スポニチ大阪文化部記者、FM802編成部を経てライターに。
92年以来、音楽誌、女性誌、新聞、ウエブなど幅広く著述、著名人のべ2000人以上のインタビュー歴をもつ。
著書などはこちら。
挿絵プロフィール
オオノ・マユミ mayumi oono
https://o-ono.jp
1975年東京都生まれ、セツ・モードセミナー卒業。
出版社を経て、フリーランスのイラストレーターに。
主な仕事に『マルイチ』(森綾著 マガジンハウス)、『「そこそこ」でいきましょう』(岸本葉子著 中央公論新社)、『PIECE OF CAKE CARD』(かみの工作所)ほか
書籍を中心に活動中。