テキーラというお酒を知っている方も、その成り立ちを知っている人は少ないのではないでしょうか。テキーラはブルーアガベという植物を原料としたメキシコの蒸留酒のこと。東京・大井町でGatitoを経営する伊藤裕香さんは、そんなテキーラの香りに魅せられた人。2022年からメキシコ大使館などの後援を得て、テキーラの原料となるアガベという植物の名前をとった「アガベサミット」というイベントを開催しています。
もともと、学生時代にバーでアルバイトをしていた伊藤裕香さんは、当初は「テキーラ」のイメージが悪かったのだと言います。
「じつは、テキーラは一番苦手なお酒でした。罰ゲームで一気飲みさせられたりして、きついだけのお酒というイメージ。バーテンダーの方々も、無理やり飲まされたりする経験があって、嫌いになった人も多いかもしれません」
しかしそんなテキーラのイメージを一新したのは、出版社で編集者として働いていた、15年ぐらい前のことでした。
「100%、アガベという植物でできたピュアなテキーラを飲む機会があって、本当に美味しかったんです。私のなかのテキーラ観がガラッと変わりました。テキーラには、普通の「テキーラ」と「100%アガベテキーラ」の2種類があって、100%アガベのテキーラは、ブルーアガベという植物だけでつくるピュアな蒸留酒。ただ、当時は日本で飲める場所が本当に少なく、その違いを知る人も少なかった。ウィスキー専門のバーのように、上質なテキーラを飲み比べられる場所があったらいいなと思いました。だから、バーを始めたくて開業したのではなく『テキーラは良いお酒だ』と知ってもらうために、バーをオープンしたんです」
2013年7月、伊藤さんは会社を辞め、テキーラ専門のバー『Gatito』(ガティート)を、オープンしました。
「Gatitoは、仔猫、という意味のスペイン語です。メキシコの公用語はスペイン語ですから、そこから探したのですが、いろんな言葉がすでに使われていて。ちょうど開業のタイミングで仔猫を拾ったので、これだ、と思いました」
店内は、400種類以上ものテキーラのボトルがまるで本棚に並ぶようにラベルを見せています。メキシコのひょうきんなガイコツの人形や、パペルピカドと呼ばれる色とりどりのレースペーパーの飾りがそよぎます。
「パペルピカドは、風を可視化するものだそうです。前回、メキシコに行ったのは、現地でテキーラをつくっている友人の結婚式だったのですが、結婚式のパペルピカドは真っ白なんですよ。どんどん人が集まってきて陽気に飲んで食べて、歌い踊る。楽しい結婚式でした。もちろん、みんな、テキーラを飲みます。現地には1700以上のブランドがあり、それだけたくさんの人に愛されているということですよね」
実はアメリカでも、スーパーマーケットにはたくさんのブランドのテキーラが並んでいると言います。
「先日、カリフォルニアに行った友人が、スーパーにテキーラが100種類くらい並んでいる写真を送ってくれました。ヨーロッパでも上質なテキーラはしっかり認知されていますし、日本でもなんとかその文化を広げたいと思っています」。
伊藤さんは、テキーラをより知ってもらうべく、各地でお酒のイベントがあると、店を休んででも参加していました。鮨とテキーラを合わせる「鮨テキ」など、これまでに人気イベントをたくさん企画。2022年には、とうとうフェスを立ち上げてしまったのです。
「沖縄県の金武町というところに、日本で初めてブルーアガベの畑を作った会社があって、そこを舞台に『アガベサミット2022』を10月に開催しました。テキーラの魅力を伝えるには、原料の植物を知ってもらうしかないと思って。アガベは種類がたくさんあり、アガベの観葉植物としての楽しさも、アガベシロップの魅力も一緒に楽しんでもらえたらと。著名なバーテンダーの方々にご協力いただき、トークセッションも開催しました」
今年、2024年9月14日、15日は、は大分県・湯布院に会場を移し『AGAVE SUMMIT2024 in YUFUIN』を開催します。
「湯布院といえば、日本に数多くある温泉地のなかでも、高級な老舗温泉旅館の多い特別な温泉リゾート。中でも、『亀の井別荘』『湯布院玉の湯』『山荘 無量搭』さんは御三家と呼ばれる憧れの老舗温泉旅館ですが、今回はそれぞれのBARで活躍されるバーテンダーさんや、同じように人気のラグジュアリーな温泉旅館『二本の葦束』内のBARのマスターにもご参加いただき、会場でカクテルをお作りいただく予定です。こんな貴重な機会はなかなか無いはず。 ほかにも、福岡や熊本、大分市内からも豪華なゲストバーテンダーさんがカクテルを作りに来てくださいます。合わせるお料理は、熊本と宮崎の本格メキシコ料理店のシェフをお呼びしたり、9月16日のメキシコ独立記念日にちなんで、日本では珍しいメキシコの伝統料理を料理研究家の方に提供いただきます。湯布院の温泉を楽しみながら、ラテン音楽の流れる空間で上質なテキーラとメキシコ料理を味わう。いつまでも思い出に残る、唯一無二の経験ができるはず」。
さて実際にGatitoでおすすめのテキーラの香りを聞かせてもらいました。
「アガベは、実際に植物としてある状態では、香りはありません。でも、長い年月をかけて成長したアガベの葉を落として、パイナップルみたいな球茎部を調理すると、甘い香りが立つんです。ちょうど、さつまいもをイメージしてもらったらいいかもしれません。お酒になった状態では、良いアガベほどミルキーな甘い香りや、リコリス香と呼ばれるアガベならではの香りが際立ちます。バニラのような優しい甘い香り、柑橘のような爽やかさ、草のような清涼感、ペッパーやハラペーニョのようなスパイシーな香りが入り混じります。その複雑で心地よい香りは、テキーラならでは!」
しつこく後追いしない甘さ、とでもいうのでしょうか。ハイボールとして炭酸で割っても、とてもすっきりとしてほのかに香ります。
「私自身の見解ですが、さっぱりキレの良いテキーラは、ウィスキーよりも食中酒としては優秀だと感じます。なので、お鮨やエスニック料理、お肉などに合わせて、日本中でペアリングイベントをやったりしています。あと、樽で熟成したタイプのテキーラは、樽由来の香りも加わって、いつまでも嗅いでいたいような芳醇な香りに。ぜひ、豊かな香りが楽しめるテキーラの世界の扉を開いてもらえたら嬉しいです。100%アガベのテキーラは翌日に残りにくい、という方も多いですよ。」
日本ではテキーラに詳しい人はあまりいませんが、ハマると深そうな世界です。
伊藤さんはもちろん、メキシコの蒸留所の見学にも行きました。
「蒸留所を訪れたときの良い香りは忘れられませんね。アガベを焼いたときの甘い香り。でも、甘い中にも苦みがある。お店では毎日、日本のお香をたいていますが、ちょっと近いものがあるんですよ」
例えば沈香は、ジンチョウゲ科のアクイラリア属やギリノプス属の樹木に傷ができ、防御反応として生成される樹脂が沈着したもの。
やはり樹木が由来するものどうし、どこか似ているところがあるのかもしれません。
テキーラの香りはまた、そこにつながる面白さがあります。
photo by Yumi Saito
http://www.yumisaitophoto.com/
Text by Aya Mori