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  • その17「香りの丘の修道女たち」

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⚫︎洗い場を見張るシスター

 形としての建物が謎めいているより、もっと謎なことがあった。それはなぜ、彼女たちは修道女になったのか、ということだ。
 朝早く起きてお祈りをし、本当の家族とは別れて女性どうしで暮らし、社会に奉仕する。
 恋愛もせず、結婚もせず、子どもも持たず。いや、何も持たず。
 そんな窮屈そうな人生をなぜ選ぶのだろうか。いや、結婚している女性が幸せとは限らない。しかし当時の私には、それが窮屈に思えた。そう思えたことが、家族のいざこざを見ながらも、やはり家族がいることは幸せだと感じていたのかもしれないが。

 ほとんどのシスターたちは、あまり幸せそうには見えなかった。意地悪な人も、いつもイライラしている人もいた。

 いつもイライラしている人に、シスターTがいた。シスターTは、私の母親の時代からいて、やはり当時からイライラしていたらしかった。
 ある日、廊下を掃除していたあと、雑巾を洗おうと洗い場の水栓をジャーっと捻った。私はジャーっと水が出るのが大好きだった。ヘレン・ケラーが「water」という言葉に気づいた瞬間を思い出すからだ。
 しかしどこからか、シスターTがすっ飛んできた。そしてすごい剣幕で怒鳴った。

「なんでそんなにたくさん水を出すんですか。勿体無い! もっと少しでいいでしょう」

「す、すみません」

 私は謝りながら、水栓を捻って、水の出を緩くした。
 そんなに怒らなくていいだろう、と思いながら。しかし、あの人はどこからすっ飛んできたのだろうか。姿が見えなかったのに。
 私はそのことが面白くなって、1週間後にもう一度、同じ場所で水栓をジャーっと捻った。
 水は飛沫をあげて思いきり出た。ああ、気持ちいい。
 すると、またどこからともなくシスターTがすっ飛んできたのである。

「また、あなた!!」

「ひゃー」

 私は今度は水を止めて逃げた。でも、ちょっと笑った。
 あの人は、どこで見張っていたのかと。
 そこでまた考えた。シスターTは、どうして修道女になったのだろうか。後悔はしていないのだろうか、と。


⚫︎私たちが「こっくりさん」を辞めた理由

 ひとりだけ、明るいシスターがいらっしゃった。笑顔が綺麗で、肌もツルツルした人だった。どのシスターよりも、清潔感があって、生き生きしていらした。
 それがシスターKであった。
 歌舞伎の名門の家の出で、父親は人間国宝、弟さんたちもテレビのドラマに出ていて人気があった。
 高校生の時、続けて3年間、シスターKの授業があった。古文と漢文だった。
 シスターKの話はよく脱線した。

「京都の実家は、歌舞伎の家ですから、いろんな神様のお社が敷地の中に12個あったんです。毎朝、家族全員で一つずつのお社を拝むんですね。大変ですよ。時間もかかります。そんなにたくさん神様がいるのかしらと、子ども心にずっと思っていました」

 人間味のある逸話だった。それとちょっと芸事の家のプライベートは興味深かった。
 李白や杜甫の詩より、よほど人間が表れ、滲んでいて面白かった。

「みなさん、こっくりさんが流行っているらしいですが、やめたほうがいいですよ。私が子どもの頃、ある時ね、本当に狐がついてしまった人がいたんですよ…」

 私と、隣席のナガオさんは顔を見合わせて、笑いを堪えた。
 でもシスターKは真顔であった。

「両手がこういう感じで胸の上まであがってきてね、目がキューっと細くなって、ぴょんぴょんと部屋中を跳び始めたのです!」

 「えーっ」と叫んで吹き出したのは私とナガオさんだけではなかった。
 それでもシスターKは、真顔だった。

「それがね、もう信じられない高さまで跳ぶの。もう一人の友達と、どうしようと話し合って、近所の神主さんを連れてきて。その人が油揚げをあげたら、むしゃむしゃ食べて、スーッと、眠ってしまったんです」
 教室中が笑いに包まれて、シスターKもようやくにっこりした。でも「本当の話なの。だからね、こっくりさんはやらないように」
 私たちは言うことを聞いて、もうこっくりさんはやらなくなった。
 ただナガオさんは「狐が本当につくか、見たいね」とずっと言っていた。私はその度に「コーン、コーン」と、シスターKの狐の真似をした。


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