形としての建物が謎めいているより、もっと謎なことがあった。それはなぜ、彼女たちは修道女になったのか、ということだ。
朝早く起きてお祈りをし、本当の家族とは別れて女性どうしで暮らし、社会に奉仕する。
恋愛もせず、結婚もせず、子どもも持たず。いや、何も持たず。
そんな窮屈そうな人生をなぜ選ぶのだろうか。いや、結婚している女性が幸せとは限らない。しかし当時の私には、それが窮屈に思えた。そう思えたことが、家族のいざこざを見ながらも、やはり家族がいることは幸せだと感じていたのかもしれないが。
ほとんどのシスターたちは、あまり幸せそうには見えなかった。意地悪な人も、いつもイライラしている人もいた。
いつもイライラしている人に、シスターTがいた。シスターTは、私の母親の時代からいて、やはり当時からイライラしていたらしかった。
ある日、廊下を掃除していたあと、雑巾を洗おうと洗い場の水栓をジャーっと捻った。私はジャーっと水が出るのが大好きだった。ヘレン・ケラーが「water」という言葉に気づいた瞬間を思い出すからだ。
しかしどこからか、シスターTがすっ飛んできた。そしてすごい剣幕で怒鳴った。
「なんでそんなにたくさん水を出すんですか。勿体無い! もっと少しでいいでしょう」
「す、すみません」
私は謝りながら、水栓を捻って、水の出を緩くした。
そんなに怒らなくていいだろう、と思いながら。しかし、あの人はどこからすっ飛んできたのだろうか。姿が見えなかったのに。
私はそのことが面白くなって、1週間後にもう一度、同じ場所で水栓をジャーっと捻った。
水は飛沫をあげて思いきり出た。ああ、気持ちいい。
すると、またどこからともなくシスターTがすっ飛んできたのである。
「また、あなた!!」
「ひゃー」
私は今度は水を止めて逃げた。でも、ちょっと笑った。
あの人は、どこで見張っていたのかと。
そこでまた考えた。シスターTは、どうして修道女になったのだろうか。後悔はしていないのだろうか、と。
ひとりだけ、明るいシスターがいらっしゃった。笑顔が綺麗で、肌もツルツルした人だった。どのシスターよりも、清潔感があって、生き生きしていらした。
それがシスターKであった。
歌舞伎の名門の家の出で、父親は人間国宝、弟さんたちもテレビのドラマに出ていて人気があった。
高校生の時、続けて3年間、シスターKの授業があった。古文と漢文だった。
シスターKの話はよく脱線した。
「京都の実家は、歌舞伎の家ですから、いろんな神様のお社が敷地の中に12個あったんです。毎朝、家族全員で一つずつのお社を拝むんですね。大変ですよ。時間もかかります。そんなにたくさん神様がいるのかしらと、子ども心にずっと思っていました」
人間味のある逸話だった。それとちょっと芸事の家のプライベートは興味深かった。
李白や杜甫の詩より、よほど人間が表れ、滲んでいて面白かった。
「みなさん、こっくりさんが流行っているらしいですが、やめたほうがいいですよ。私が子どもの頃、ある時ね、本当に狐がついてしまった人がいたんですよ…」
私と、隣席のナガオさんは顔を見合わせて、笑いを堪えた。
でもシスターKは真顔であった。
「両手がこういう感じで胸の上まであがってきてね、目がキューっと細くなって、ぴょんぴょんと部屋中を跳び始めたのです!」
「えーっ」と叫んで吹き出したのは私とナガオさんだけではなかった。
それでもシスターKは、真顔だった。
「それがね、もう信じられない高さまで跳ぶの。もう一人の友達と、どうしようと話し合って、近所の神主さんを連れてきて。その人が油揚げをあげたら、むしゃむしゃ食べて、スーッと、眠ってしまったんです」
教室中が笑いに包まれて、シスターKもようやくにっこりした。でも「本当の話なの。だからね、こっくりさんはやらないように」
私たちは言うことを聞いて、もうこっくりさんはやらなくなった。
ただナガオさんは「狐が本当につくか、見たいね」とずっと言っていた。私はその度に「コーン、コーン」と、シスターKの狐の真似をした。