小仲 そういう仕事が増えていったなかで、特に印象に残っている案件はありますか。
中原
設計の仕事ですと『とらや』の仕事でしょうか。『TORAYAアンスタンド』っていうのはまだ今もありますけど、新宿のNewman 時は割にこう、なんて言うんですかね、その頃は、彼らもフランスにお店を出したばっかりだったので、日本はものすごいフランス贔屓じゃないですか。フランスのものがみんな好きみたい。
日本で駅ビルに入った時、お菓子づくりで、日本の我々が大切にすることってなんだろうと。例えば何かを蒸していて、窓が湯気で曇った情景にシズル感を感じる。フランスの人は感じないかもしれないけど、我々は感じる。その湿度みたいなことをテーマにしようと言いました。
甘いものの文化に関する本を読んでいた時に、特に東南アジアもそうですけど、蒸し菓子の文化なんですね。冷めても美味しい、冷めるのも前提。っていうか、月餅とか黒糖の蒸しパンとか。途中から餅などの米、米菓子の文化に変わるんですが。
『とらや』さんはそういう話をもともとされてる会社なんで、そこにもっと着目しようと提案しました。
小仲 『とらや』さんも、次の時代に向けて新しい業態を考えておられます。 興味深いのは、最新のアメリカのコーヒーショップと、老舗の店のありようとを一緒に考えておられるということ。
中原
そうですね。”サードウェーブ”と言われた始まりの頃、アメリカで見ていました。
僕はそれまでにすでに喫茶店を始めていて、ネルドリップでコーヒーを出すっていうのをやってたんです。
ネルの漉し器は1000円程度。だから1杯500円もらうと、けっこう儲かるんですよ。
ところがエスプレッソ・マシーンは1台500万円とかする。それを導入して300円台のエスプレッソを出すのは割りに合わないじゃないかと思った。
でも、たまたま知り合いで機械の意味や効率を教えてくれた人がいて、これは面白いなと思いました。しかもスピードはもちろん出る。
それでも喫茶店の中でエスプレッソ・マシンは不要だと思っていました。そうしたら、たまたま自分のお店のその並びのタバコ屋さんだったところが、店を閉めることになって「借りない?」と言われたんです。
僕はタバコは吸わないんですが、その角に郵便ポストがあって、郵便を入れに行っていた。
そのタバコ屋さんがが「ポストがあるコーナーのお店って絶対潰れないから」と言ったんです。
その時にたまたまそのマシーンの話があって。すぐ飲めるコーヒースタンドってありなのかなと思って、疑心暗鬼で始めてみたんです。
小仲 行動が早いですね。それと、いろんな情報が繋がり輪郭が作られていくこと。
中原 人ですね。その時に任せたい人がいたり、自分の気持ちを動かしてくれる人がいる。
小仲 スタッフですか。
中原
ですね。スムーズにすぐ始められました。
震災で夜の文化が急にダメダメになった瞬間で、朝の文化になっていたのも追い風でした。
とにかく人がやってくる。朝の文化に入れ替わったんだなって思いました。
小仲 もう”サードウェーブ”が流行る前に、やられていたとは。アメリカとか、海外のいろんなところで見聞きされたり、人と出会ったりすることをすべて生かしてらっしゃる。
中原 ベトナムの方のカフェレストランみたいなのもやってますし、アメリカの友達が日本に来てうちの会社と一緒にやりたいということで始めたビストロがあったり
小仲 そういう縁というか、繋がりは大きいですね。
中原 そうですね。コンセプトをガチガチでやって、失敗したこともあるので。むしろブランドとしての景色ができていくまでの、人の繋がりは大きいですね。
小仲 コンセプトも大事だけれど、それが強すぎて肩に力入りすぎても、外すことがある。
中原
ものすごい大企業がすんごいデザイナー使って、うまくいかない時もありますよね。うまくいくということを考えるっていうよりは、初動は大切かなと思います。効率化はその後かな。
いいものを初動でどれぐらい作れるかは大事ですね。