鏡さんは西洋占星術以外に、さまざまな占星術を研究しています。なかでもタロットにまつわる本を何冊も出しておられますが、2023年には新しい本を出しました。
「今年『ミンキアーテ・タロット』というタロットの本を翻訳を出しました。「ミンキアーテ」ってイタリア語なんですが、実はイタリア語圏では口にするのをためらうような猥雑な言葉なんです(笑)。あ、お断りしておきますが、これが原題で僕がつけたわけではない。
みなさん驚かれるかもしれませんが、タロットはもともと占いには使われていなかったんです。タロットは15世紀イタリアで誕生しますが、本来は世俗的なゲーム用。これが占いが使われるようになるのは18世紀後半以降。1781年に、タロットは古代エジプトで生まれたという説をフランスの学者が出したんですね。それでタロットに神秘的な要素が付け加えられて、オカルト学者やアーティストがイメージを付与していったんです。18世紀前までは花札とかトランプと同じようにカードゲームでした。ゲーム用ですから地方や時代によってバリエーションが当然あります。現在は78枚のものがポピュラーですが、16世紀にはフィレンツェで、97枚セットのものがありまして、これが「ミンキアーテ・タロット」。「悪魔」「吊られた男」といったおなじみの絵札のほかに12星座の札が加わって97枚に拡張されています。今回翻訳したのはその解説書とカードのキットで、日本では画期的なんじゃないかな。今回のはもちろん、占いへの応用も、さらに美術史的な解説も詳しいです」。
鏡さんはタロットに興味を持ったのは、11歳のとき。それが占星術研究への道を辿るきっかけにもなったようです。
「僕が子どもの頃、70年代半ばはオカルト・ブーム全盛期でした。1974年が日本におけるオカルト元年と言われていて、その前後に映画『エクソシスト』が公開されたり、イギリスの評論家コリン・ウィルソンが『オカルト』も紹介されたんです。ポップなところでは超能力のユリ・ゲラーが来日したり、ハイブロウなところでは澁澤龍彦や種村季弘ら幻想文学の紹介者が広く読まれました。高度成長期がひと段落して、公害が出てきたりして、前へ前へという近代的なものへの疑問符が出始めたんでしょうね。海外では60年代後半からカウンターカルチャーが熱い時代。アメリカではエスタブリッシュメントへのアンチテーゼとして、東洋の宗教、キリスト教の背後にあったオカルティズムに関心が向いていきました。ビートルズは魔術師のアレイスター・クロウリーを、ツェッペリンはタロットをレコードのジャケットのモチーフにしたでしょう。日本では勢いの良かったPARCOも、大きなタロット展をやっているんですね。子どもだったからもちろん無意識ではあるけれどそういう空気を吸っていたんだと思います。そもそもタロットで占うことよりも、何とも言えないそのミステリアスでエキゾチックな雰囲気に惹かれたんでしょう。」
当時流行している本を覗くと、オカルトは占星術や錬金術とも繋がっていることがわかりました。
「子ども心に、そうか占星術も勉強しないといけないのか、と。またその後、別の見方もするようになって、西洋絵画に同じモチーフがあることで、美術や西洋史にも興味をもちました。のちに知るのですが、ルネサンスの名画にもタロットと同じモチーフや構図がたくさんあるし」。
鏡少年は、好奇心の羽をどんどん広げていったのでした。
一方で、鏡さんという人には、京都で生まれ育ったという基盤があります。
「京都には日本での占いの中心地でもあったし、四柱推命の教科書を出しているような出版社もありました。易もあるしね。ただ、易は『四書五経』のうちの一つですからね、、あまりに文献が膨大。京都にいると古書店で立ち眩みがしました。一方、西洋のものは翻訳も少なく、こっちの方がまだ読破できるんじゃないかという気がしたんです。実際はこちらも、一生かけても学び切れるようなものではないのですが、当時はわからないし、無謀でしたねえ…」
子どもの頃から、外から見えている京都に対して、内側から違う見方をしていた鏡さん。
「京都ってめちゃくちゃ“外国”なんですよ。美術史の鶴岡真弓先生が『京都 異国遺産』という本を書かれているくらいです。祇園祭の山鉾にはゴブラン織もかかっている。京都ではないけれど、遠足で連れていかれる正倉院御物にはペルシャの影響のものがたくさん。タロットのルーツになったアラブのカードには“唐草”模様が描かれていますが、それって琵琶のような楽器にも描いてあるし、そうした文様は天才バカボンに登場する泥棒さんの風呂敷の柄にもつながっていくわけでしょう?そういうふうに考えてみると、日本人は島国根性だとかいうのは嘘で、海というのは四方八方に開かれた道なんです。
あ、そうそう、三十三間堂におわす「二十八部衆」は仮面ライダーに出てきてもおかしくない造形のものがたくさんありますが、もともとはインドの神々が仏教化されたもの。日本のすごさってインターナショナルに開かれていたところでもありますが、京都にいるとそれがよくわかる」。
調べれば調べるほど、京都が取り込んでいる異文化の面白さに気づきました。
それと共に、京都の人々がそれを違和感なく受け入れてきたたおやかなメンタリティにも。
「異文化も上手に受け入れるし、もう一つ、京都の人の感覚として、目に見えない霊的なものと付き合うのが上手な気がするんです。何かにどーっとはまったりしないんですよね」
確かに京都の人たちは神さん、仏さん、と「さん付け」にすることで、絶妙の距離感をキープしている、どこかクールなところがあるようです。
「この神さんはきかへんからあっちにお参りに行こうか、みたいな(笑)」
その京都の人独特の客観性。先日亡くなった鏡さんのお母様にも、こんなエピソードがあります。鏡さんのお母様、和装研究家の服部和子さんは、京都で初めてきもの学院を立ち上げた女性でした。
「ある知り合いがどうやら精神的に不調をきたして、とある男性に入れあげてしまったんですね。その女性は『彼のご先祖さまがうちに来て帰らないんです』と真顔でと言うんです。ご本人は病識もない。どうしようか、と母に相談したら『その人、そのご先祖さん、呼ばはったん?』と言う。『いや、呼んでないやろ』『ほんなら、そのご先祖さん、勝手にきはったんやな。そうしたら大文字のときに勝手に帰らはるから心配せんでええいうといたげて。ああ、、大文字見えへんかったらいい場所用意したげるし、遊びにきはったらええわ』と笑う。これすごいでしょう?”見える“という「症状」を「幻覚」だと切り捨てない。ある種そのまま認めるけれど、深刻にならない。つまり個人に責任を負わせない。責めないまま、症状の存在を認めつつ、京都という共同体の力で受け止めて、折り合いをつけていくというか。でもいやらしいことに、京都だからできることがあるで、というマウンティングも入れている(笑)。古くからの京都人は、そうやって霊的なものとこの世をうまく共存させて生きてきたんですね」。
神社も寺も数え切れないほどあり、伝説や習わしと昔も今も共存している京都の人だからこそ、違和感なく伝えられることがある。鏡さんにも、何かそういう空気があります。
でもあまり、直接人を占ったりすることはないのだそうです。
世の中では占いの人気が絶え間なく続いていて、いろんなタイプの占い師がいます。鏡さんはどんなふうに「占い」を捉えているのでしょう。
「占いは楽しんでもらえたらいいと思います。ごく一部を除いて、占いがなければ歴史や文化はないといってもいい。歴史の見えざるインフラなんです。そこから興味を持ってもらえればいろんなことが繋がっていきます。タロットの絵を見るだけで、西洋絵画の見方も違ってきます。『占星術の文化誌』という本で書いたのですが、シェイクスピアを読むにも占星術を知らないと理解できない。例えば『お気に召すまま』という戯曲には、『人は皆役者だ』という有名なセリフがあります。。人生は7つのステージに分かれている。それは7つの惑星に対応しているんです。そこから先は僕の解釈ですが、グローブ座は地球という意味ですよね。当時の人からすると、地球を中心とした宇宙を想起したと思います」
西洋の文化を理解するためには、聖書やギリシャ神話の知識が必要なのは一般的に知られていますが、占星術も必要だと知っている人は少ないかも。
「占星術は、宇宙論なのです。自然がどうなってきたか、私たちが住んでいる宇宙とはどういうものなのかを考えてきた知の体系なんです」
深淵で広い世界がそこには広がっていそうです。これからの夜長の季節、占星術やタロットの本に、思索を重ねてみてはいかがでしょうか。
●鏡リュウジ公式サイト
https://kagamiryuji.jp
取材・文 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
http://moriaya.jp
https://www.facebook.com/aya.mori1
撮影 萩庭桂太
1966年東京都生まれ。
広告、雑誌のカバーを中心にポートレートを得意とする。
写真集に浜崎あゆみの『URA AYU』(ワニブックス)、北乃きい『Free』(講談社)など。
公式ホームページ
https://keitahaginiwa.com