1990年代の人気番組『タモリのボキャブラ天国』に「底ぬけAIR-LINE」のメンバーとして出演していた古坂さん。
「22歳ごろでしたから、僕らは勢いだけで。音楽ネタをやったり、シンセサイザーを使ったコントをやったり。僕はいじっぱりであまのじゃく。青森弁でいう”じょっぱり”です。兄貴が行かない道を行こうとしていたんですね。スキマスキマを狙っていたというか」
お笑いだけではなく音楽活動もしていた古坂さん。しかし、なかなかテレビには出られる番組がありません。
「音楽を始めて、ネット動画になら出られると思って。自分で発信しようとダイヤル回線でやってPCではボケボケに映っていたり。そのうち、ニコニコ動画が始まってすぐにその会社へ行ったんです。公式動画でとにかく見る人を集めたいみたいな時期。新人とか、とにかく出たい人だけが来ていましたね。僕はニコ動のたけしさんになろうと思って『ニコ動の番組』の司会をしていました」
とにかく出られる場所を求め、最先端の配信には関わってきた古坂さん。
「ブログより前に動画付きBBSが始まって。動画だと、たまに中国人やアメリカ人も見に来るんです。そこにすごく生で可能性を感じました」
単独ライブをやるときのゲストを呼ぼうと探して現れたのが、ピコ太郎でした。
「音楽ネタをやるのに、別のミュージシャンを探そう、と思ったんです(笑)絶対に売れないだろうキャラ。歌とオケが合ってないようなサウンド。45秒もないなんて、CD音源にもならない。
物理的に売れない。でもそこが面白い。どうやっても売れない人をプロデュースしたんです。意味も中身もない、オチもない。そいつがピコ太郎でした」
2013年頃から古坂さんの単独ライブに登場したピコ太郎。そして2016年、満を持して、YouTubeに登場となったのでした。