ただ一つ、彼女がいつも気にするのは、最初からファンでいてくれる人たちのことだ。
「ファンの皆様にね、ざんねん、って思われたくないんです。いい歳の取り方をしたね、って思ってもらいたい。だからそこは一枚の写真にも現れるように、食生活も関わる人たちも大切にしているんです。若さの光はもうないから、自分が出るから。僕たちが応援してきたさゆりだよね、って。この人きちんと生きてきたね、って思ってもらえるように」
アイドルは大変だ。その「ファンを裏切らない」という気持ちを背負って生きている人が多い。彼女はその理由をこんなふうに語る。
「ファンの熱量ってすごいんです。その熱量で『国生さゆり』を持ち上げてもらってきたところがあるから。私は破天荒な時期もあったのでなおのことそう思うんです」
おニャン子クラブ時代も、ルード66をニューヨークからロサンゼルスまでバイクで完走するという企画を通していた。
「何がやりたいの、と聞かれて、バイクに乗りたいです、と言って。一から免許を取って、約1ヶ月でアメリカ横断したんですね。今思えばかなり悪ノリな部分もあるし、危険もあるわけで。だけど、叱られない寛容な時代でしたね。今はさすがに私もあの頃みたいに走り出さないですよ(笑)。慎重さとか、今度は自分が少しは寛容を身につけたのかもしれません。それが40年で培ったことかな」。
最近は小説を書き始めた。初めて彼女の小説『国守の愛』が、原作となってWebマンガ化されることに。
小説を書き始めたのも、演技への努力が始まりだった。
「女優の仕事を始めたときに、どうしたらお芝居が上手になるのかと、ある先輩に聞いたんですね。すると『本を読みなさい』と言われたんです。それまであまり読まなかったんですが、努力して読むようになって、今度は本を読むのがすごく好きになりました」
本を読むことは、彼女にとって自分と向き合うことだったのかもしれない。読むだけでは止まらず、書き始めたのは、コロナ禍のこと。
「コロナ禍に、悶々と、一人で内省したんです。あっという間に人が亡くなってしまったりするのを目の当たりにしたときに、私は自分自身の命のこともやっと考えた。私は、さゆりさんに何もしてあげてないな、と。タレントとしての『国生さゆり』が迷惑ばかりかけちゃってごめんね、と。それで、原作として何かが残っていたら、私が死んだ後に、誰かがなんかしてくれるかもしれないなと思ったんです。それで、言語化できる人に託そうと思って、マネージャーに電話したら、それは一度、あらすじでも箇条書きでもなんでもいいから書いてもらっていいですか、と言われたんです。それが始まりでした。だから自分で長々と書けるとは思っていなかったし、完結させる力があるとも思っていなかった」
彼女は物語を描き続け、完結させた。その力はどこから湧いてきたのだろう。
「自分のなかにずっと隠して、押し込めていたものがお腹の中にいっぱい溜まっていたんでしょうね。それが、フィクションとしてならいくらでも込み上げてくる。文章力という意味ではまだまだ勉強が必要だけれど、吐き尽くすような作業をしているんじゃないかと思うんです」
一人でできる作業も向いていた。
「テレビ番組とかドラマとか、みんなでする仕事なんですね。それはいつもウェイティングでキャスティングしてもらうのを待っている。私、ここにいるんだけど、って。それに疲れたんですよね。じゃ自分で『ここにいます』って言っちゃったほうがいいじゃないですか。自分発信。そのほうが自分に優しいでしょう」
書き始めると、さらに違う自分が顔を出してきて面白いと笑う。
「書き上げる忍耐力とか、作ろうとする熱量というか、まとわりつくようなものが自分にはあったんだなと。結構ドロドロしてる(笑)。もうちょっと軽やかな人間だと思っていたし、男性性が強いと思っていたんだけど、書き始めたら意外と女性だったし。叶わないことも多かったと思っていたけど、それが肥やしになるんだと」
何もかも叶えてきたように感じる人だけに、その言葉に驚いた。