日本に来るたびに支援者が増えていくジュリアン・マッケイ。アメリカ、モンタナ州に生まれた彼は、幼い頃から体を動かすことが大好きだったのだという。
「じっとしていられない子どもでした。ずっと動き回っているので、母親が『動いてもいいけど、モノは壊さないで』と言いました。そのうち、手足も長くなっていき、ものを壊すくらいになってしまいました。(笑)それで、バレエを習うようになったんです」
ごく普通の家庭だったそうだが、母親は文化を愛する人だったようだ。
4人きょうだいで、姉二人もバレエダンサーである
「まだ僕が幼い頃、姉の舞台を観に行ったのが、ミュンヘンのバイエルン国立歌劇場だったんです。舞台の両脇に天使がいて、それを幼い僕は客席から見ていました。天使がいるな、って。それを今は、舞台から時々眺めているんです」
それも不思議な縁だ。バイエルン国立バレエ団で踊ることは、そこから運命づけられていたのかもしれない。
でも、彼が最初に海外へ渡ったのは、ロシア。わずか11歳のとき、モスクワのボリショイ・バレエ・アカデミーに入学したのだ。
そこでアメリカ人として初めて正規ディプロマを取得した。
「モスクワに半年いました。僕は冒険好きだから、厳しいディプロマも規則もチャレンジも前向きに受け止めました。厳しい環境ではありましたが、道が見えた、という喜びがまさっていました。その後、ヨーロッパへ。いくつか賞もいただきました」
ジュリアンがそう語っている側で、映像を撮影し続けている弟のニコラスが苦笑いして「寄宿舎の食べ物はあんまり口に合わなかったみたいだけど」と言ったが、ジュリアンはそこでこんなエピソードを話してくれた。実はその弟ニコラスもジュリアンとともにボリショイで学んだが、ケガでバレエダンサーを断念、今は映像作家として兄ジュリアンを撮影している。
ジュリアンは、弟に微笑みかけながら言った。
「寮母さんが、ものすごくたくさんの料理を作ってくれて、なんでも食べましたよ。だけど体重が増えてしまい、コーチに『なんでこんなに練習しているのに肥るんだ!』と驚かれました(笑)。寿司と味噌汁が多かったですね。日本にいると美味しい寿司と味噌汁があって、毎日がスペシャルです!」
もちろん、今は食べ過ぎには注意していて、自ら料理をすることもあるそうだ。

ステージでの華麗なダンスだけではなく、ジュリアンはSNS時代にも則した表現をし続けている。弟のニコラスが長年、彼の映像を撮っているのだ。
「ボリショイ・スクール時代の映像からあります。だから、そのあたりから全てをまとめたドキュメンタリー作品もつくっているところなんです」
コロナの時代でも、映像づくりはコツコツと続けていた。
「その頃、サンフランシスコのバレエ団にいたんですが、休みをもらって、モルディブのリゾートでドローンを使って撮影しました」
そんなプライベートな映像も、ドキュメンタリー作品には収録されるようだ。
生まれ育った故郷のモンタナの映像も見てみたくなる。
「モンタナで思い出すのは、空気とミストの香り。朝、外に出たときに感じるあの少し冷たくて新鮮な香り。パフォーマンスをやり切ったときに、なぜかその香りを思い出したりするんです」
彼は香りをcalm downにも使っている。
「僕はずっと動き回るから、眠る前にはラベンダーの香りでcalm downしています」
子どもの頃から動き回ってきたという彼の素直な表情は、ずっと変わらないのだろう。
