音楽学校ではピアノ、ジャズ、日舞、タップと初めて経験する授業が目白押し。
一般的には規律も厳しいと有名ですが、剣さんは心からわくわくしていました。
「目新しいことばかりで、私には毎日が楽しくて。これだけたくさんのことを教えてもらえる学校はなかなかないと思いますよ。でもほとんどの生徒が授業に加えて個人レッスンにも通っていましたね。私は授業だけで精一杯でしたが…!」
休みの日には「宝塚ファミリーランド」で羽を伸ばしました。
「当時は制服で行くとナイショで入れてくれたんです。ジェットコースターには何度も乗せてもらいました、係員さんに『また来たよ〜』なんて言って(笑)」
声の音域から剣さんは男役になったそうです。
「宝塚の娘役は、男役の1オクターブ上を歌わなくてはならないんです。私は声が低いので、その音域は出ない。なので、男役となりました。」
初舞台の後は、関西テレビの『ザ・タカラヅカ』に「バンビーズ」としてレギュラー出演しました。
「毎週新しい歌や踊りを覚えなくてはいけないので、とても勉強になりました。
そのとき、振り付けの山田卓先生にも出会えたのです。先生の感性がとても好きでした」
その山田先生とは宝塚歌劇として歴史に残る1年間のロングラン公演となった『ミー•アンド・マイガール』でまたご一緒されることとなりました。
『ME & MY GIRL』は、1930年代のロンドンを舞台にしたイギリスのミュージカル。『マイフェアレディ』の男性版のようなあらすじで、小気味良いテンポでセリフと歌とダンスが掛け合います。1937年にロンドンで初演された後、リバイバル公演を経て、‘86年にはブロードウェイでも人気を博しました。
「その大舞台をやることになって、私も1週間でロンドンで2回、NYで2回、公演を見てきました。軽妙なかけ合いで、お客さんが2分に1回は笑っているのです。BBCへの皮肉だったり、とにかく現地でしかわからないニュアンスの内容でした。ロンドン公演の際、『今度、この舞台をやります』と楽屋にご挨拶にうかがったら、案内されたのは、主役の男優・ビル役ではなく、相手のサリー役の女優さんのところでした! それで、NYではしっかり『私がビルをやらせていただきます!』と説明しました。その時ビルを演じていたロバート・リンゼイさんから、オリジナル台本をいただいて、それは公演中の私のお守りとなりました。今は『宝塚歌劇の殿堂』に展示していただいています」
現地の人しか笑えない脚本も、考え直す必要がありました。
「イギリスに住んでいらした日本人の方に、オリジナル台本を全部訳してもらいました。演出家の方も『みんな、いいアイデアがあったら教えて』と言ってくださって、みんなで一から練り直しましたね。スタッフも含め、月組全体が、日本で初めてのこの作品をなんとかしようと必死でした」
振り付けの山田卓先生のアイデアも生きました。
「山田先生には帽子の使い方など教えてもらって、軽妙なところをうまく足せた気がしましたね」
結果は1987年から’88年に渡って史上初の1年間の続演というロングランに。
宝塚歌劇のファンではないミュージカル好きな人たちまでをも巻き込む大ヒットになったのです。
「ビルがくだらないギャグや駄洒落でお調子者に見えれば見えるほど、その裏に隠された、サリーを愛する深さというものが見えてくる。それが大切だと思いました」