鍋つゆは、比内鶏のスープを鰹と昆布の出汁で割り、醤油、みりん、酒で味付けた。
そこへ鶏肉、せり、まいたけ、切ったきりたんぽを入れて、土鍋で煮る。
仕込みさえしてあれば、あっという間にできる。
「はいどうぞ。薬味は柚子胡椒と、生七味です。お好みで。あ、秋田はかんずり?」
「いやいや、かんずりは新潟だよ。美味しそうだ。いただきます」
とんすいにレンゲで2杯、だしをすくい、矢作はやおらきりたんぽから食べ始めた。
「うまい。もちもち加減がちょうどいいよ。焦げ目も香ばしい。何よりね、杉の串の香りがちょっとするんだよな」
幸はわざわざ東京まで出た甲斐があったと思った。杉の香りにまで気づいてくれるなんて。
「結構難しいんですよね。ご飯を串に巻いて、固めたつもりでもぽたっと落ちちゃう」
「米も秋田のもんなの」
「いえ、お米は頂き物で、佐賀の『契り米』っていうお米なんです。なんかいい名前でしょう。もちもちしていて、なぜかきりたんぽにぴったりなんですよ」
「契り米、か。そうか。ここで結婚40周年をやればよかったかな」
「何度でもお祝いしましょう」
矢作はうまい、うまいと鍋を食べ尽くした。鍋と酒でぬくもった笑顔は、確かに凛花に少し似ていた。
「いやあ、うまかった。懐かしかったよ。… 妻はあまり秋田には行きたがらなかったから」
「寒いのがお嫌いなのかな」
「いや、うちの実家は結構な大家族で、そこに居づらいんだろうねえ。僕はね、妻の父親がやってた医院を継いだんだよ。だからね、なんと言うかね、ずっと長い長いエスカレーターに乗っているような気分なんだ。もちろんね、経営的に大変なときはあったよ。でも妻がその辺り、またよくできる女でね。うまくやってきたと思う。僕は治療しかできない。コツコツそれしかできなかった。まあ、金はできた。だからこそかなあ、金で解決できない問題が出てきたときに、痛いもんだよ」
幸はその人生を一瞬にして察した。矢作は幸せだからこそ、失恋した娘がいっそう不憫なんだろう。
「あの、きりたんぽ、まだ少しあるので、おうちで矢作さんが鍋を作ってあげたらどうかしら」
手早く幸は3人分の鍋のセットを作った。
「悪いねえ。ちゃんと、お代に入れてよ」
「じゃ、2000円で」
しまった。また儲からない、と幸は思った。
矢作は、そんなんでいいの、と微笑んで、幸が差し出した袋の中を嗅いだ。
「ああ、せり、いい香りだなあ」
「洗ってありますから、根っこまでしっかり食べてくださいね」
「ありがと」
根まで食べるというのは「そのまま、どうぞその健やかな生を生き切ってください」という意味なのかもしれない、と、幸はふと、気づいた。
筆者 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
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イラスト サイトウマサミツ
イラストレーター。雑誌、パッケージ、室内装飾画、ホスピタルアートなど、手描きでシンプルな線で描く絵は、街の至る所を彩っている。
手描き制作は愛知医大新病院、帝京医大溝の口病院の小児科フロアなど。
絵本に『はだしになっちゃえ』『くりくりくりひろい』(福音館書店)など多数。
書籍イラストレーションに『ラジオ深夜便〜珠玉のことば〜100のメッセージ』など。
https://www.instagram.com/masamitsusaitou/?hl=ja