厨房にやってきた恭仁子は、幸に耳打ちした。
「なんか品のない人ですねえ。あの若いコは彼女なのかしら」
「…」
幸は微笑んで首を振り、口もとに人差し指を立てて、しーっ、と恭仁子をたしなめた。どうあれ、お客様はお客様だとわかってほしかったのだった。
「すんませーん。なんか、食いもんある〜」
大きな関西弁は店の空気を破壊するかのようだった。他にいた客たちが、見るともなくそちらを見た。
幸は大きな声で返した。
「はーい。お待ちくださーい」
そして、行ってきて、と恭仁子の背中を軽く押した。恭仁子は小さく深呼吸して、注文をとりに行った。
「何があんのん」
「今日のランチはボロネーゼのパスタか、コンビーフのトーストサンドです」
「パスタにする。おまえは」
女性はちょっと悩んだが、同じで、と答えた。
「… トイレどこ」
「あちらになります」
男が大股でトイレに向かうと、背を向けた恭仁子に女性がすまなさそうに言った。
「すみません、父がうるさくて」
「あ、お父様なんですね」
「はい。こっちに初めて来たんで」
恭仁子は厨房にやってくるや否や、幸に言った。
「カップルじゃなかったです。親子ですって」
幸はそれには答えず、すでに聞こえてきたオーダーを繰り返した。
「ボロネーゼ、二つですね」
「あ、はい」
恭仁子は苦笑いして頷いた。
1週間後の土曜夕方、そのときの若い女性が一人で店にやって来た。
「あの…、ひとりなんですけど、いいですか」
恭仁子が先に気づいて、あ、あの時の、と言った。
「本当、父がうるさくてすみませんでした」
幸は笑って言った。
「懐かしかったわよ。私も大阪だったから」
「えー。見えない!」
彼女が目を見開くと、下瞼がキラキラした。
「全然、オバはん、って感じじゃないですよね。お二人とも」
「いや、立派にオバはんよ」
幸は笑って、恭仁子を見た。
「そうだけど、いきなり言われたくないし、びっくりしちゃった」
恭仁子がまだうっすら憤慨するのに、幸は首を振った。
「いやきっと、お父さん、いい人でしょ。私、わかるわ」
そう言うと、女性は顔を曇らせた。
「悪い人じゃないんですけど。この街になじめるかどうか」
「え、旅行じゃなくて、引っ越して来られたの」
「はい、母が亡くなって。私、一人っ子なんです。勤めでずっとこちらへ来ているんで、一緒に住むことになったんです」
「この辺りに?」
今度は幸が「ちょっと困ったな」と言う顔を恭仁子に向けた。
女性は悪びれずに答えた。
「新丸子です。駅からすぐなんですけど。でも、父と二人じゃ狭いから、物件を探してます」
「いい不動産屋さんが…」
そう言いかけた幸のエプロンの端っこを恭仁子がぎゅう、と引っ張った。