フレグラボ|日本香堂

人と香りをつなぐwebマガジン

  1. HOME
  2. ヒトサラカオル食堂
  3. 第34話 本日のお客様への料理『酢橘とプチトマトのラーメン』
    1. 小説
  • 第34話 本日のお客様への料理『酢橘とプチトマトのラーメン』

    1. シェア
    2. LINEで送る

🥂Glass 2

 竹内がやって来たのは、それからほどない金曜の夜、それも21時ごろだった。
 早い時間からいた常連客がはけたばかりで、幸は一人だった。

「幸ちゃんの店はここかいな」

「竹内さん! いやあ、変わってはらへんわ」

 おべんちゃらではなかった。七三に分けた髪は銀色になり、頬にはシミがあったけれど、竹内の風貌は若い頃とさほど変わらなかった。おそらく、小太りな人の方が、老けないのである。
 グレーのスーツは一目見て品質の良いとわかるもので、赤系のペーズリーの光沢のある派手なネクタイが、関西人っぽかった。

「幸ちゃんは、大人になったなあ」

「あはは。なりすぎましたわ」

「そらそやな。僕がロータスに行ってた頃、幸ちゃん、学生やったんやもんな」

「あはは」

 幸はそれを笑って誤魔化した。なぜか10代の自分に戻るようで、笑い方がその頃のようになった。

「なんか頼もう。メシはお得意さんと東京で食って来たんやけど」

 幸は時計を見た。新幹線の最終に乗るにも遅い。

「今日、横浜にお泊まりなんですか」

「ああ。いっぺん、ニューグランドっていうところに泊まってみたかってん」

「それはいいですね。いいホテルですよ。あれは東京にも大阪にもありませんわ」

「うん。一緒に泊まるか」

「アホなこと」

 軽くいなされた竹内は、ちょっと照れくさそうにカウンターの奥を覗き込んで、ワインの木箱を見つけた。

「白ワイン飲もうかな」

「はい。どんな感じの」

「国産のやつ、ある?」

「長野のがあります」

「それにしよ。幸ちゃんも呑みいな。一本開けて」

「ありがとうございます」

 遊び慣れている人は楽だ。幸はソラリス千曲川シャルドネを取り出した。

🥂Glass 3

「乾杯」

「大人になった幸ちゃんに乾杯」

 ひと口飲むと、竹内は「旨いな」と口元をキュッとしめた。

「国産のワイン、旨なったなあ」

「そうでしょ。もうこの頃円安でいろいろ値上がりしてしまって。オリーブオイルとヨーロッパのワインがない店になってしまいそうです」

 幸がそう言って笑うと、竹内はポツリと言った。

「俺らの商売ももう競合が多すぎてな。保険屋だらけ。しかもネットで入れるやろ」

 ため息が漏れた。それでも羽振りが良さそうだが。

「バブルやったなあ。ロータス行ってた頃なあ。その後、ミツコに店もたしてな」

「えっ」

 やはり「マダムミツコ」のパトロンは竹内だったのか。幸は人生で引っかかっていた疑問がひとつ腑に落ちたと思った。

「やっぱり、竹内さんやったんですね。続いてたんですね」

「ところがや」

 竹内は白ワインをひと口飲むと、今度は苦いような顔をして話した。

「ミツコのやつ、店で新しい上客見つけたら、オレのことはポイや。信じられるか。一億突っ込んだのに」

 ミツコさんらしいな、と幸は思った。しかし、口ではそう言いながら、竹内はにやにやしていた。

「プライドが高うて、金と宝石が好きで。そやけど、筋を通すときは通す。なんせ、あのキュッボンのスタイルで、あのきれいな顔や。あんな女は二人といてへん。なんや、なんていうたらええんかな。男のやる気に火をつけるっていうんかな。こう、こいつに負けたない、と思うんや」

 のろけのように聞こえてきた。幸は思い切って言ってみた。

「ミツコさん、亡くなったの、ご存知ですか」

「えっ」

「最後にここへ来はったんですよ」

「ここへ」

 竹内は傍の誰もいない椅子をじっと見つめた。まるでそこに、ミツコの姿を探すように。

第34話 本日のお客様への料理『酢橘とプチトマトのラーメン』

  1. 2/3

スペシャルムービー

  • 花風PLATINA
    Blue Rose
    (ブルーローズ)

  • 日本香堂公式
    お香の楽しみ方

  • 日本香堂公式
    製品へのこだわり