竹内がやって来たのは、それからほどない金曜の夜、それも21時ごろだった。
早い時間からいた常連客がはけたばかりで、幸は一人だった。
「幸ちゃんの店はここかいな」
「竹内さん! いやあ、変わってはらへんわ」
おべんちゃらではなかった。七三に分けた髪は銀色になり、頬にはシミがあったけれど、竹内の風貌は若い頃とさほど変わらなかった。おそらく、小太りな人の方が、老けないのである。
グレーのスーツは一目見て品質の良いとわかるもので、赤系のペーズリーの光沢のある派手なネクタイが、関西人っぽかった。
「幸ちゃんは、大人になったなあ」
「あはは。なりすぎましたわ」
「そらそやな。僕がロータスに行ってた頃、幸ちゃん、学生やったんやもんな」
「あはは」
幸はそれを笑って誤魔化した。なぜか10代の自分に戻るようで、笑い方がその頃のようになった。
「なんか頼もう。メシはお得意さんと東京で食って来たんやけど」
幸は時計を見た。新幹線の最終に乗るにも遅い。
「今日、横浜にお泊まりなんですか」
「ああ。いっぺん、ニューグランドっていうところに泊まってみたかってん」
「それはいいですね。いいホテルですよ。あれは東京にも大阪にもありませんわ」
「うん。一緒に泊まるか」
「アホなこと」
軽くいなされた竹内は、ちょっと照れくさそうにカウンターの奥を覗き込んで、ワインの木箱を見つけた。
「白ワイン飲もうかな」
「はい。どんな感じの」
「国産のやつ、ある?」
「長野のがあります」
「それにしよ。幸ちゃんも呑みいな。一本開けて」
「ありがとうございます」
遊び慣れている人は楽だ。幸はソラリス千曲川シャルドネを取り出した。
「乾杯」
「大人になった幸ちゃんに乾杯」
ひと口飲むと、竹内は「旨いな」と口元をキュッとしめた。
「国産のワイン、旨なったなあ」
「そうでしょ。もうこの頃円安でいろいろ値上がりしてしまって。オリーブオイルとヨーロッパのワインがない店になってしまいそうです」
幸がそう言って笑うと、竹内はポツリと言った。
「俺らの商売ももう競合が多すぎてな。保険屋だらけ。しかもネットで入れるやろ」
ため息が漏れた。それでも羽振りが良さそうだが。
「バブルやったなあ。ロータス行ってた頃なあ。その後、ミツコに店もたしてな」
「えっ」
やはり「マダムミツコ」のパトロンは竹内だったのか。幸は人生で引っかかっていた疑問がひとつ腑に落ちたと思った。
「やっぱり、竹内さんやったんですね。続いてたんですね」
「ところがや」
竹内は白ワインをひと口飲むと、今度は苦いような顔をして話した。
「ミツコのやつ、店で新しい上客見つけたら、オレのことはポイや。信じられるか。一億突っ込んだのに」
ミツコさんらしいな、と幸は思った。しかし、口ではそう言いながら、竹内はにやにやしていた。
「プライドが高うて、金と宝石が好きで。そやけど、筋を通すときは通す。なんせ、あのキュッボンのスタイルで、あのきれいな顔や。あんな女は二人といてへん。なんや、なんていうたらええんかな。男のやる気に火をつけるっていうんかな。こう、こいつに負けたない、と思うんや」
のろけのように聞こえてきた。幸は思い切って言ってみた。
「ミツコさん、亡くなったの、ご存知ですか」
「えっ」
「最後にここへ来はったんですよ」
「ここへ」
竹内は傍の誰もいない椅子をじっと見つめた。まるでそこに、ミツコの姿を探すように。
