扉を開けたのは、まさかの顔だった。
「竹内さん! まだ横浜にいらしたの」
ワインレッドのキャリーケースは、これから大阪へ戻ることを意味していた。
「あの、あんまり横浜が良くて、もう1泊してしもたんですわ。それで、じっくり考えたんやけど」
「…」
幸も恭仁子も固唾をのんだ。竹内の顔は晴れやかだった。
「ミツコさんの息子… ヒカルくんやったかな…。とにかく、年明けにいっぺん、会うてみようと思います」
「ほんまですか」
「DNA鑑定とか、今、簡単にできるんでしょう。それやって、僕の息子なら、これから、然るべき付き合いをしようかと」
幸の目からポロポロと涙がこぼれた。
天国のミツコは、この言葉を聞いただろうか。ヒカルはどんなに喜ぶだろうか。
いろんなことが堰を切って涙になってしまった。
「あかん」
「え?何があかんのですか」
竹内はせっかくの覚悟を否定されたのかと一瞬戸惑った。
幸は人差し指で両目の下のラインを拭いながら言った。
「あかん。化粧崩れる」
3人は笑い合った。いつまでもそのまま笑っていたいような、年の瀬のひとときだった。
空が青い。
笑い声の混じったオレンジとシナモンの甘い煙は、天へ天へと、彼女のところへと、昇っていくようだった。

筆者 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
http://moriaya.jp
https://www.facebook.com/aya.mori1
イラスト サイトウ マサミツ
*J-WAVEラジオ『TALK TO NEIGHBORS』の番組イメージイラストを2種類制作。
*『婦人之友』2024.4月号〜2025.3月号の表紙と目次の絵。
*絵本:『はだしになっちゃえ』『ぐるぐるぐるーん』他(福音館書店)『Into the Snow』他(Enchanted Lion Books)など多数の絵を手がけている。
*ホスピタルアート: 愛知医大新病院 他、現地で手描き制作。その他壁画、ウィンドウアート、ライブドローイングなど幅広く活動。個展も多数開催している。
Instagram:masamitsusaitou