《4》
元町の裏通りを少し山手に上っていったところにある民家に、麻貴は未知を誘った。
内側からドアを開けた木野百合子は、ショートカットの美人だった。冬でも小麦色の肌に、ショッキングピンクのモヘアのルーズなニットが似合っていた。
「うわー、久しぶり。麻貴ちゃんよく来てくれたね。いよいよなんだ」
「えっと… 私じゃないの」
麻貴は一瞬、顔を曇らせたが、すぐ笑顔になって、後ろにいた未知を前に押し出した。
「この子のドレスなの。3月なんだけどね。主役は新郎が作る靴なの。それに合うドレスをお願いしたくて。私は…ブーケを考えなくちゃ」
「あら、そうなの」
百合子は口角をきりっと上げて「よろしくお願いします」と未知に言った。
「まあ、お茶でも飲んで」
二人は波打つガラス戸のある和風建築のなかで、そこだけがパリのようなアトリエで、お茶を待った。
生成りの麻を張ったトルソーに、誰かの型紙がかかっている。
「アトリエって落ち着きますよね」
未知は希望のアトリエを思い出しているようだった。口元にいいようのない微笑みが浮かんでいて、麻貴は「結婚する前の女のコってこんな優しい顔をするんだ」と思った。
「召し上がれ」
百合子がいれてくれたアールグレーは、花の香りがした。
「それで、どんな靴なの」
未知がまたスマホからそれを見せると、百合子は「可愛い!」と指先で画像を大きくした。
麻貴は頭のなかに浮かんだブーケのイメージも口にした。
「ブーケはブルースターと小さな香りのいい白ばらを使おうと思っています。靴の形に合わせてラウンドで」
百合子はうんうん、と頷いた。
「靴が見えるくらいのアンクル丈のドレスにして、スカートにはパニエを入れてふんわりさせて。… 麻貴さん、そのお花を胸元に並べても可愛いかもね」
「ああ、いいわね。さすが百合子さん!」
二人がああでもない、こうでもないと盛り上がるのを、未知はにこにこと気後れしながら聞いていた。
「あ、ごめんなさい、未知さん、あなたが主役よ。希望があったら言ってね」
未知はおそるおそる口にした。
「小さくていいんですけど、ちゃんといい匂いのするばらがいいな」
「まあ、なんて、素敵なアイデア」
百合子はぱあっと嬉しい顔になった。麻貴は頭のなかで匂いの良いばらの種類を一生懸命考えていた。
そして気づいた。女友達の結婚式のために一生懸命になることも、なかなか悪くないな、と。
さっきは「自分は着ることももうないかも」と思っていたドレスも、ひょっとしたらいつかは着られるかもしれないという気がしてくるのだった。
To be continued…
★この物語はフィクションであり、実在する会社、事象、人物などとは一切関係がありません。
作者プロフィール
森 綾 Aya mori
https://moriaya.jimdo.com/
大阪府生まれ。神戸女学院大学卒業。
スポニチ大阪文化部記者、FM802編成部を経てライターに。
92年以来、音楽誌、女性誌、新聞、ウエブなど幅広く著述、著名人のべ2000人以上のインタビュー歴をもつ。
著書などはこちら。
挿絵プロフィール
オオノ・マユミ mayumi oono
https://o-ono.jp
1975年東京都生まれ、セツ・モードセミナー卒業。
出版社を経て、フリーランスのイラストレーターに。
主な仕事に『マルイチ』(森綾著 マガジンハウス)、『「そこそこ」でいきましょう』(岸本葉子著 中央公論新社)、『PIECE OF CAKE CARD』(かみの工作所)ほか
書籍を中心に活動中。