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    第4話『きんもくせい』

《4》

きんもくせい④

あれから、もう36年も経つ。
佳子は結婚紹介所のお見合いで東京の男に嫁ぎ、36歳で美菜を産んだ。
さっきの金木犀の匂いのせいで、すっかり忘れていたあのときのことを思い出した。
そのことがきっかけで、もちろん、母親は佳子のピアノの先生を替えた。
それは正しい決断だったのだと、今も佳子は思う。
でも大人になった佳子には、あのとき、先生は初めて恋をして、それを失ったのだろうと推測がついた。
先生も若かったのだ。悪くなかったのだ、と今は思う。
子を思う母親の思いと女の気持ちは相容れない、ということも。

美菜と一軒の家のインターホンを押すと「どうぞ」と声がし、猫を抱いた60代の婦人が玄関に立っていた。白髪をまとめ、ニットのロングスカートを履いている。

「よろしくお願いします」

二人して頭を下げ、ピアノのある部屋へと案内される。
部屋にはグランドピアノと、その手前にローテーブルと革張りの茶色いソファが置かれている。
佳子はそこに座り、美菜の背中を見守る。

「またあまり練習できてないわね。練習は嫌い? ちょっと聴いてね」

優しい口調でそう言い、老婦人は猫を床におろすと、模範演奏を弾く。単純で簡単なメロディ。しかし本物のピアニストが弾くとそれはまろやかな響きの音楽に姿を変える。
まるで、花が咲いて香りを放つように。

「ね、練習してね。練習すればするほど、ピアノは美菜ちゃんのことを好きになってくれます。大好きになって、いい音を出してくれます。そうしたら、美菜ちゃんもピアノのことを大好きになれるから」

美菜は老婦人の言葉に、こくんと頷いて、鍵盤をじっと見た。

その姿を見ると、佳子はなんだかわからないままに、なぜか胸がいっぱいになって、あわてて窓の外を見た。

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作者プロフィール

森 綾 Aya mori
https://moriaya.jimdo.com/
大阪府生まれ。神戸女学院大学卒業。
スポニチ大阪文化部記者、FM802編成部を経てライターに。 92年以来、音楽誌、女性誌、新聞、ウエブなど幅広く著述、著名人のべ2000人以上のインタビュー歴をもつ。
著書などはこちら

挿絵プロフィール

オオノ・マユミ mayumi oono
https://o-ono.jp
1975年東京都生まれ、セツ・モードセミナー卒業。
出版社を経て、フリーランスのイラストレーターに。 主な仕事に『マルイチ』(森綾著 マガジンハウス)、『「そこそこ」でいきましょう』(岸本葉子著 中央公論新社)、『PIECE OF CAKE CARD』(かみの工作所)ほか
書籍を中心に活動中。

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