生島さんのお話を聴いていると、穏やかで他人に優しい人ほど、人生の中には大きな苦労もあったのだろうなと思わずにいられません。
義理のお母様の介護のことを書かれたご著書を読んでも、そこには決して状況に逃げずに最善を尽くそうとする生島さんの姿がありました。
「そうですね。困難があっても、逃げないかな。かかってこいやー、と、高田延彦さんのプロレスのようにね(笑)」
1989年に独立された頃は、まだ業界はバブルの余波がありました。
「放送業界は少し遅れてまだバブルでしたよね。当時は借金をするのが美徳のようなところがあって、金融機関はどんどん借金を勧めてきました。不動産は買えば上がるものという、土地神話もありました。それで不動産だけで6〜7億、金融が2〜3億。合わせて10億、借りていましたね。今はほぼ返済しましたが。。世の中、美味しい話はありません」
しかし生島さんが家族に迷惑をかけたことはなかったのです。
「アメリカで苦労したことは役に立ちましたね。今も家族は仲が良いですよ。ありがたい、って有難いと書くでしょう。苦労したから、そう思うんですね。大変なことがあって、心から出てくる言葉です。簡単に手に入るものは簡単になくなってしまう。人に裏切られることも多かったですが、どんなときも、常に助けてくれる人もいました。うん、やっぱりありがたい人生です」
メガネの奥の目はいつも微笑んでいました。生島さんは、ご家族やプロダクションに所属する人たちのことをいつも思いやっておられるのだろうと想像しました。
人を守れるやさしさは、一朝一夕には出来上がるものではないのです。
取材・文 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
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撮影 初沢亜利(はつざわ・あり)
1973年フランス・パリ生まれ。上智大学文学部社会学科卒。第13期写真ワークショップ・コルプス修了。イイノ広尾スタジオを経て写真家として活動を始める。
東川賞新人作家賞受賞、日本写真協会新人賞受賞、さがみはら賞新人奨励賞受賞。写真集に『Baghdad2003』(碧天舎)、『隣人。38度線の北』『隣人、それから。38度線の北』(徳間書店)、『True Feelings』(三栄書房)、『沖縄のことを教えてください』(赤々舎)。
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