今は料理家として大人気になった井澤さんですが、子どもの頃から食べること、料理が大好きだったそう。
「バレエ、絵画など、習い事が忙しかったのですが、週1回のお休みに、友達と料理教室ごっこを始めたのです。どうせならどこかの家で夕飯を作ろうと。小学生だけで商店街に行き、八百屋さんやお肉屋さんを回って買い物からやるんですね。そうすると、お店の人たちも『これはおまけね』なんて優しくしてくださって。それでハンバーグなんか作るんだけど、時間はかかるし、出来上がれば生焼けだったりしてね(笑)。でも親たちは『よくできたね』なんて持ち上げてくれるんです。それで楽しくってね」
井澤さんのおばあさまは料理が得意で、おじいさまは医療系のお仕事だったそう。
「祖母のおかげで料理が身近にあったし、祖父のおかげで医食同源という考え方も身についたのでしょう」
そんな井澤さんが本格的に料理をやりたいと思ったのは、高校生の時、マーサ・スチュワートの本と出会ったことでした。
「表参道の自然雑貨屋さんだったかな。『Martha Stewart Entertaining』という本に出合ったのです。その時、学生だったし1万円札を1枚だけ持っていて、その本は9,000円くらいしたんです。でも洋服を買うより、これを買わなきゃと思った。マーサ・スチュワートはカリスマ主婦として有名になったクリエーターで、ライフスタイル業界の先駆者みたいな人。料理から園芸、クラフト、インテリア、動物、キッズ、ウエディングなどを総合的に提案して大人気になっていくのですが、それはそれはおしゃれで、センスのよい手作りの料理やしつらえが魅力的でした」
衝撃の出合いは、その時だけに留まりませんでした。
「その後、23歳の時から飲食店をやっていたのですが、母の知り合いのカメラマンさんが、雑誌編集者を連れてとランチを食べに来てくれて、あるとき『マーサ・スチュアート・リビング日本版』の編集部を作る手伝いをするから、手伝ってくれない、と誘われたのです。確かにアメリカで出されているそのままのレシピでは、オーブンの温度からクリームの量まで、何もかもアメリカンサイズ。だからそれを日本人に合うレシピを作る仕事でした。料理周りの広告も作っていたので、お店が終わってから、夜中にオーブンをフル稼働。子育ても大変でしたから、寝る時間もなかったですね」
その後、実際にマーサと会う機会もあったそうです。
「会ってもにこりともしない人でしたが(笑)。でも旬の野菜や果物をおしゃれにアレンジしたり、自分の育てた卵でオムレツを焼くマーサの世界は、私の崇拝するところです」
井澤さんの料理には、その向こうに幸せな会話やあたたかい笑顔が見える気がします。そこに加わるセンスは、マーサから。そしてその料理が誰かを喜ばせ、健康を気遣うためのものであることは、彼女のご家族から。
その朗らかでバランスの取れた魅力で、井澤さんはこれからもおしゃれで体に良い料理を教えてくれることでしょう。
井澤由美子さんの著書
「まいにち食薬養生帖 365日の食が心とからだの薬になる」
取材・文 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
http://moriaya.jp
https://www.facebook.com/aya.mori1
撮影 初沢亜利(はつざわ・あり)
1973年フランス・パリ生まれ。上智大学文学部社会学科卒。第13期写真ワークショップ・コルプス修了。イイノ広尾スタジオを経て写真家として活動を始める。
東川賞新人作家賞受賞、日本写真協会新人賞受賞、さがみはら賞新人奨励賞受賞、2022年林忠彦賞受賞。写真集に『Baghdad2003』(碧天舎)、『隣人。38度線の北』『隣人、それから。38度線の北』(徳間書店)、『True Feelings』(三栄書房)、『沖縄のことを教えてください』(赤々舎)。
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