宮森さんが引き継いだ当初は150〜180石だった生産量も、今は2000石になりました。一升瓶にすると20万本になります。それでも「小さい酒蔵」なのだとか。
「これ以上は目が届かなくなります。今まで通りの酒を自分の味覚で造っていきたいんです」
一人ではもう無理と、7年前に弟の宮森大和さんを東京から呼び戻し、兄弟二人と、それぞれの同級生とで酒造りを続けています。
「最初は僕が『會津宮泉』も見ていたのですが、それだと行き着くところが『写楽』と同じになってしまいます。それで、弟に『會津宮泉』を任せました。弟もいろいろチャレンジをしています。タンク毎に新しい設計を試したり。麹米と掛け米を変えてブレンドしたり。ウィスキーのブレンドのような、ワインのアッサンブラージュのような文化ですね。それが日本酒の世界に取り入れられるようになりました。酵母をブレンドしたりも、と考えていくと、果てしないですね」
「日本酒の未来は明るい」と楽観視したいところですが、宮森さんたちの世代は、10年後を厳しく見据えています。
「代の継承は難しいですね。僕みたいな人が戻ってくると、父が紡いできたものはガラッと変わってしまっています。弟が『次に兄貴のひどいバージョンが来たらどうなるんだ』と笑うんですが。
同じ脳みそのメンバーのチームをいかにして造るか、ということを考えますね」
日本酒造りは、チームワークだと宮森さんは考えています。
「日本酒業界の人と飲んでいると『どう繋いでいくか』に答えが出ないんです。それくらい、継承することに悩みは多い。世の中も、コロナ禍でまたガラリと様変わりしました。そういうなかで、僕たちがやっていることは、企業ではなく、職人工業なんです。そしてある範囲の中でしか変えられることはない。トップが方向性を決め、牽引して、みんながそっちを向いている。そういう元気な強いチーム力をどうキープするか。そういうチームをどうつくっていくか。そこが大事なんじゃないかと思います」
形でもブランドでもない、味という作品。宮森さんが「美味しい」と感じ、多くの人たちが「美味しい」と感じるその酒の味が、名作として後世にも伝えられていくことを願ってやみません。
取材・文 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
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撮影 萩庭桂太
1966年東京都生まれ。
広告、雑誌のカバーを中心にポートレートを得意とする。
写真集に浜崎あゆみの『URA AYU』(ワニブックス)、北乃きい『Free』(講談社)など。
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