やがて東京に戻れることになった彼女をさらに元気にしてくれた意外なものがありました。
「キックボクシングです。うちの隣にジムができたんですよ。それで、ちょっと興味もあったので、行ってみようかな、と。毎日通っていたらどんどん好きになりました。それまで痩せ過ぎてたんです。手をけがしたらピアノが弾けなくなるから、運動しちゃいけないと言われていて、それは大きなストレスになっていたんです。今は運動しないと生きていけない。全身を動かすのはすごく良かったですね」
筋力をつけたことは、広田さんのその後の演奏にもおそらく良い影響を与えたのではないでしょうか。身体が元気になっていくにつれ、考え方も変わっていったと言います。
「足りないことを見つけるくせがあって。まだダメだと思っちゃう。突き詰める性格なんですね。それはこういう仕事をしている人には多いのかもしれない。だけど『まあいいや、楽しくないと』を口ぐせにするようになりました」
身体が変わると、気持ちも変わります。そして何より、彼女の心身を癒してくれたのは、優しい家族の存在でもありました。
「めまいが楽なときに、母が一緒に家の周りを散歩してくれました」
そのとき、湧き上がってきたメロディは『散歩』という曲になりました。芸術家は経験する喜びも挫折も、すべてが作品になっていくのでしょう。
「劇伴の曲は脚本があって、こういう場面でこういう音楽が必要、というふうに作りやすい。でも自分の曲はそういうふうにはできてこないです。例えば、スリランカへ行って、親を亡くした子どもたちの前で演奏したときに、ここで私が弾いていいのかなあと思いながら一生懸命演奏したことがありました。そうしたら子どもたちが『ありがとう』と言って喜んでくれたんです。そういうときに、曲ができたりします」。
心のおもむくままに。広田さんは今、生きることと音楽が良い形でメロディを奏でているような時期にいるのかもしれません。
2012年に結成したパーカッションの山下由紀子さんとのデュオ「227」も、2人の楽しい時間が形になっています。
「227は、2人とも誕生日が同じだったことからついた名前です。楽しくなくなったらやめよう、と言っていたのですが、12年も続いてしまいました。アドリブができて自由ですね。売れるための戦略とか、辞めたいときに辞められないとか、縛られるのが好きじゃないんでしょうね。11周年は石垣島に行ってライブをし、新たなチャレンジができる場所をと考えたら、12周年はコットンクラブしか思いつかなかった。2月27日、ぜひいらしてくださいね」
縛られたくない感が、ソロやパーカッションとのデュオだと全開になるのかもしれません。
「今回のソロアルバムも、ノークリック一発録音で作ったんです。自由だから楽しいし、自由だから難しい。でも私は自由が好きです!」。
1人で演奏する自由も、誰かと演奏してさらに遠くへ行ける自由も。広田さんのメロディはまだまださまざまな場所へと羽ばたいていきそうです。
●227コットンクラブでの12周年ライブのお知らせ
https://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/sp/artists/227/
●配信URL
https://linkco.re/4b3qgUVa?lang=ja
●広田圭美さんの公式ホームページ
https://www.tamamihirotaweb.com/
取材・文 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
http://moriaya.jp
https://www.facebook.com/aya.mori1
撮影 萩庭桂太
1966年東京都生まれ。
広告、雑誌のカバーを中心にポートレートを得意とする。
写真集に浜崎あゆみの『URA AYU』(ワニブックス)、北乃きい『Free』(講談社)など。
公式ホームページ
https://keitahaginiwa.com