香りという、シンプルな情報。言葉でそれくらいシンプルで人の感情を呼び覚ますことができるものとして、松尾さんは「落語」があると考えています。
「お客さんの頭のなかに香りをばらまくわけにもいかないですからね。おっさんが一人、言葉を語る。そこにイマジネーションが広がって、この人は何を考えている、何を欲してる、この先どうなるんだ、という人間の物語、それぞれの位置関係を想像させる。そこで広がる想像力ってすごく大事だと思うんですよ。パントマイムとか落語とか、情報量の少ないものを見て、自分のなかで膨らませて楽しむ。その作業をやっていると、頭の体操になりますよ」
想像力を養うこと。それを自発的にやらなければ、今や押し付けられる情報に支配されてしまう可能性があります。
「世の中、偉い人が裏金問題で揉めてるけど、あれを見ていて、誰に手心を加えているかなんて見ている我々からしたらバレバレですよね。ところが処分する側にはその想像力がないんでしょう。あるいは、芸人がしゃべってることをわざわざ画面に出してそこで笑わせようとしたり。何が面白いかまでテレビに教えてもらわないとあかんような、想像力のない人になってしまっている。僕ら、飼い慣らされてしまっているんです」
そこで、落語。松尾さんは落語家ではありませんが、これまでにも機会があれば高座にあげてもらっていました。
「桂吉朝さんと昔から友達で。僕が『ちゃんとした修行をしたことがないのに、高座に上がっていいんですかね』と彼に相談したことがあるんです。そうしたら『古賀政男や服部良一の家に住み込まなかったら歌ったらあかん、ということはないやろ。免許事業やないねんから、誰でもやったらええがな。失敗したって、下手やったからって、誰も傷つけへんがな』と。それもそうやなと、安心しました」
4月20日には渋谷・大和田伝承ホールで、5月には神戸の喜楽館で松尾さんの落語を聴くことができます。
「昔の人が作ったものを横から出てきて壊すというのは申し訳ないですから、できるだけオーソドックスにやろうとはしています。まあオーバーアクションな人もいれば、かみしも切らずに淡々としゃべる人もいる。左右に180度くらい振り向いて、首千切れるんちゃうかというオーバーアクションな噺家もいれば、本当に微妙に見せて、肩をすくめるくらいの動きしかしない噺家さんもいるし。面白いですよね。みんな違って、みんないいんですよ」。
シンプルな情報から想像力を膨らませる。情報過多と言われる世の中で、その砂漠の砂のような情報にのみ込まれないために、松尾さんが心掛けているのは、心地よい情報だけを得ようとしないこと。
「自分が得て心地よい情報は快楽情報というらしいです。放っておくと、今のシステムでは、そればっかりになるんですって。だから、できるだけ自分と違う世界、自分と違う意見をもっている人の話を聴くのが大事ですね。そうすると、どこが違うということに気づくじゃないですか。そう育てられてきたらそういう感覚になりますね、とか。完璧にはできないかもしれないけれど、できるだけ気づけるというチャンスを感覚に与えた方がいい」
具体的には、こんな手法も。
「たとえば僕、病院とかに行くと、マガジンラックを後ろ向きに見て、手を伸ばして、そこで触れた雑誌を手に取って読むことにしているんです。それがまったく興味のないゴルフ雑誌だとしても、料理の雑誌でも、旅本でも。これは僕が発見したんじゃなくて、中3か高1のときに読んだエドワード・デボノという思想家が書いた『水平思考の世界』という本の中の話で。それは面白いな、と」
松尾さんの博識はそうやって広がっていくのでしょうか。おそらく記憶だけではなく、そこに深い想像力が加わっていくのでしょう。
「僕の知識はそうは深くないですよ。だけど、違う世界のこととこっちの世界のことが、あるとき、パチン、とつながることがある。そのつながったときが、ものすごく面白んですよね。想像する材料を得ていく。想像するチャンスをできるだけ増やした方がいいですよね」
思考にも想像にも線を引かず、五感を動かして。それを体現している松尾さんの世界は、これからも変幻自在に現れていくことでしょう。
▽インフォメーション
4月20日の渋谷での落語会はクローズドのため、事前予約のみです。
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSd_dj6fPvddqg-I9JB9N7MHKuyY0mg0oTeH-54wa4SMeEtHGg/viewform
取材・文 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
http://moriaya.jp
https://www.facebook.com/aya.mori1
撮影 萩庭桂太
1966年東京都生まれ。
広告、雑誌のカバーを中心にポートレートを得意とする。
写真集に浜崎あゆみの『URA AYU』(ワニブックス)、北乃きい『Free』(講談社)など。
公式ホームページ
https://keitahaginiwa.com