その香りは、石と石の中でつぶれていく不均質さ、にあるのかもしれないと、水野さんは言います。
「不均質さ、が生まれるんじゃないかと思うんです。これは難しいことなんですが、料理は、その不均質さが良いときがある。技術が上がれば上がるほど、仕上がりは綺麗になります。テクスチャーも色味も味わいも、綺麗になる。整っていくんですね。その状態を作り出すテクニックは必要になりますから、技術も実力も必要です。その綺麗さは一つの目標で、自分も基本的にはそこへ向かっている。こんな綺麗なカレーは見たことがない、味わったことがない、というところを目指しているんです。でも、それはざっくり言えば均質化に向かっているということでもある」
その綺麗さという高み、均質化の一方にある不均質さの味わいに、水野さんは石臼で気付かされたのかもしれません。
「一方で、雑っぽい、不均質なものの旨さ、ってあるんですよ。たとえばインドで現地の料理を食べていると、脂が浮いてる。そういうものを一口目、二口目と食べていると、少しずつ味わいが変わると言うような」
不均質なもののなせる、偶発的な美味しさ。
「その均質化されたものの最高峰はレトルトカレーですよ。テクニックを向上させようと目指している方向の先にレトルトがあるのは嫌だ。そこはちょっとジレンマで。じゃ、意図的に不均質を取り入れたら、よりクオリティが上がるのではと。ところがそこで難しいのは、テクニックがなくて出来上がった不均質なカレーと、テクニックがある人が崩して不均質を入れたカレーが、食べる人にとっては同じなんじゃないかということなんですよ」
その不均質さを意図的に入れたいというところを叶えるのが、石臼なのではないかと思った水野さんは、タイでも料理人たちに話を聞きました。
「ペーストを作るのに、いろんなアイテムを入れながら、まとめていくんだけど、どこまで均質化するか、一歩手前で止めるか。それは作るカレーや好みによって変わるんだという話でした。カンボジアで家庭料理を習ったときは、石は扱いが大変だから、もう木臼でした。『昔は石臼だったのよ』と言っていて、石臼の時代はきっと味が違ったんだろうなと思ったりしました。ただ、石臼にはまってはいるけれど、その材質の違いをわかって、使い分けるようになれたらいいなとは思っています」
と言いつつ、この1月には、とうとう、最高峰と言われる石臼を手に入れた水野さん。
「去年の1月に、レゲエというニックネームのタイ人の料理人に出会って、意気投合したんですね。奥さんがたまたま日本人で、子どももいるから、里帰りでこちらに来ることがあって、一緒にイベントしているんです。レゲエが石臼を何台も持っっていて、毎日使っているんです。石の質によっても全然違うと。彼がずっと欲しいと言っているアンシラーという石のがあって」
アンシラーはバンコクから車で2時間ぐらいのところにある海辺の街の名前。そこの海底に眠いっている岩を削ったものが石臼になるそうです。
「白いんですね。イミテーションが出るくらい、人気なんです。レゲエはそれがずっと欲しいと言っていて、イベントの売り上げでとうとう買ったんです。それで、今年の2月、僕も買いました」
アメリカでも人気が出てどんどん価値が上がっているというアンシラーの石臼。
「やっぱり滑らないんですよね。それじゃなきゃダメだとは思わないですけど」
水野さんは、今、この石臼を使ったカレーに取り組んでいます。
「石臼を使ってつくるカレーを、クラッシュカレーと呼び始めました。石臼でいろんなものをクラッシュするから。僕の周りではクラッシュカレーファンが出始めています。ただ、マンションで夜中にゴンゴン叩くのはやめた方がいいですね(笑)」。
新しい素材や手法に出会い、そこに真っ直ぐ向き合っていく。でも、気づいたこと、知ったことを隠さずみんなに教えてしまう。水野さんは、常に次を見ている人。
「僕にとってスパイス、ハーブ、カレー。そういったものは、自分の好奇心をくすぐってやまないものなんですよ。そこに真っ直ぐ向き合っている自分が一番楽しい。自分が手にしたものがあったとして、それを持って何か商売をやりたいとか、高い位置に行きたいということではなくて。大事にしていることは、自分の好奇心が向いているかどうか。それが本質的なものかどうか。そして誰もやったことがないことかどうか。毎年、インドにカレーを食べに行く人はいても、世界中にスパイスやカレーを求めて旅している人は他にいないでしょう」
水野さんの配合したスパイスカレーの「基本のチキンカレー」を作って食べてみました。絶妙な配合が醸す香りのふくよかで深いこと。その香りに、彼が人生を賭ける旅のエッセンスが封じ込められているのでしょう。食したときに、それが食べる人のなかで弾けます。
カレーを深く愛する人たちは、水野さんのような生き方にも憧れるのかもしれません。
●水野仁輔さんnote
https://note.com/airspice/
●AIR SPICE公式サイト
http://www.airspice.jp/
取材・文 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
http://moriaya.jp
https://www.facebook.com/aya.mori1
撮影 萩庭桂太
1966年東京都生まれ。
広告、雑誌のカバーを中心にポートレートを得意とする。
写真集に浜崎あゆみの『URA AYU』(ワニブックス)、北乃きい『Free』(講談社)など。
公式ホームページ
https://keitahaginiwa.com