タイトルの『かなさんどー』とは、沖縄の言葉で「愛おしい」という意味だそうです。
物語にはひとりひとりのさまざまな「愛しさ」と、その表現が出てきます。
「もともと短編映画があって、そこには親子の確執は描かなかった。純粋に親子愛だけだったんですが、長編ではそれだけでは集中力がもたないので、父と娘の確執から描き始めました。母の死に対して救える立場にいた父が救えなかった、というね。でも一旦、遠ざかった父親が弱りきってそこにいた時に、どうするのか。僕は『憎い相手の許し方』を描きたかったんだと思います。それをただジーンとするというだけの映画にはしたくなかった。30年間お笑いに足を突っ込んできたから、ヒューマンコメディというか、面白いけど、なんだよ、ちょっと感動するな、みたいに見せたい。8割は笑いを入れつつ、2割はそうもってくるかというね。そこ、僕も照れ屋なんで」
「お笑い」を生業としてきた人には、何もかもストレートでは格好悪いという照れ、知的な含羞があるのかもしれません。
沖縄独特の言葉やその場所で撮り続ける意味を、照屋さんは「恩返し」だと言います。
「自分自身が芸能界で30年もやってこられたことのなかで、沖縄出身だからもらえた仕事、というのがいっぱいあるんです。僕を育てたのも沖縄だし、その沖縄にこうして恩恵を受けてきたので、40歳になって人生を折り返したときに、じゃ、沖縄に何か恩返しができるかなと思ったんですよ。この沖縄を発信できるような、紹介できるような意味で、沖縄を舞台にすることを意識して作品をつくり続けています」
そのなかでも、照屋さんのつくる映画に出てくる沖縄の人々は、悲しい人、弱った人に寄り添い、自分のことのように受け止める優しい人が多いようです。
「そうですね。でももちろん、沖縄でみんながいい人なわけじゃない。悪い人も嫌な人もいますよ。それを含めて描こうと思えば描くこともできますが、日常、みんな疲れているでしょう。学生だろうが、社会人だろうが、僕だって人間関係が全部うまくいっているわけじゃない。体の不調がある人もいるでしょう。そういうなかで、映画ぐらいは非現実であってほしい。ちょっといい気持ちになってほしいと思うんです。映画でまで重いものを見せたら、みんなきついんじゃないかなと思って。ちょっとあったかい、ほのぼのするような作品づくりを意識していますね」
人は人との関係性において、幸せを感じたり、不幸を感じたりするもの。さまざまな人たちがいる芸能界で30年以上、認められているのは大変なことでしょう。
「僕も人間関係に疲れることはあります。人間関係、やだなーと思ったりもする。でも、人が足を引っ張ったときも、救ってくれるのはまた人なんですよね。人が嫌になって、人が好きになって。それを一生くりかえすんだな、と。それを描きたいです。人に苦しめられるけど、人に助けられるよね、と。お笑いというスパイスを使いながら、ね」
照屋さんという人の根っこには、まずは人を信じようとする想いがあるのでしょう。人間をじっくりと見つめる深くあたたかい眼差しが、作品にもあふれています。
映画『かなさんどー』公式サイト
https://kanasando.jp/
取材・文 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
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撮影 萩庭桂太
1966年東京都生まれ。
広告、雑誌のカバーを中心にポートレートを得意とする。
写真集に浜崎あゆみの『URA AYU』(ワニブックス)、北乃きい『Free』(講談社)など。
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