日本を代表するブランドを、ごく自然に受け継がれてきた多恵さん。ご自身でもそのことについて疑問に思ったことはないようです。
「姉は興味がなかったようで(笑)。私は絵を描くのも洋服を着るのも物心ついた時から好きでした。いろんな綺麗な生地やフェルトが残っていると、何か自分で作ったりしていましたから。両親もこの子しかいない、と思ったんでしょう。友人も学校も私自身も、こういう道に歩むんだなという既成事実みたいな形でしたね」
実はお母様もファッションデザイナー。
「父が20代の前半でスカウトされていった職場で、母が部下になったようです。すぐに二人は意気投合したそうですが、母には許嫁がいたんだそうです。その時代だから、家と家で決めたような結婚をする予定だったのです。母は父に『私はもうすぐ結婚するので、ウェディングドレスをデザインしてくれませんか』と言ったら『その話、ちょっと待ってくれ』と、父が母の実家に乗り込んで行って『自分と結婚させてください』と。その情熱に、母の両親も惚れ込んでしまったそうです。相手の方にもご挨拶に行ってお詫びし、父と結婚することになったのだそうです」
そんな情熱あふれる求婚から始まっただけに、淳氏は、お母様を生涯、心から愛されていたようです。
「母は、クチナシの花が大好きなんです。すごくいい香りがするでしょう。あるとき、父にそれを言ったら、父はこの会社の植え込みを全部クチナシにしてしまいました。季節になると、ここの会社のまわり、建物のまわりに一斉にぱあっと白い花が咲いて、あの素敵な香りで満たしてくれるんです」
淳氏が亡くなっても、その白い花の香りは今も季節ごとに香りたつ。まるでその愛情が永遠だというように香る。なんて素敵なプレゼントでしょう。
多恵さんは、生活の中に香りをうまく取り入れ、自らの気持ちの切り替えに使ったり、おもてなしに使ったりということを自然にされている方。調香師に独自のブレンドを依頼して、ディフューザーなどの香りもデザインしています。
「柑橘系や、ちょっとスパイシーな香りも好きです。パリに行くと、CARONで好きな香水を好きなボトルに入れてもらいます。『Aimer que moi 』という名前の香水を愛用していて、イベントのあるときに、まといます。私のコレクションを愛してもらえるように。自信をもって背筋を伸ばそうという気持ちになれるんですよ」
彼女が大切にしている香水は、その日、彼女の育んだ上質なセンスを表現するのでしょう。潔さとたおやかさを兼ね備えた微笑は、また香りとともにコレクションを引き立て合うに違いありません。
公式サイト
https://jun-ashida.jp/pages/tae-ashida
取材・文 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
http://moriaya.jp
https://www.facebook.com/aya.mori1
撮影 萩庭桂太
1966年東京都生まれ。
広告、雑誌のカバーを中心にポートレートを得意とする。
写真集に浜崎あゆみの『URA AYU』(ワニブックス)、北乃きい『Free』(講談社)など。
公式ホームページ
https://keitahaginiwa.com