その後は地道な音楽活動が続いた滝さん。結婚し、子どもが生まれ、生活のために稼ぐことが優先となったとき、日雇いで工事現場で働きながら、音楽の仕事があればそちらに出向く、というような時期もありました。そういう時期がしばらく続いたある日、横浜のディスコで歌わないかという話がやってきました。
「50曲くらい楽譜を渡されて、明日よろしく、と。知らない海外のアーティストの歌がたくさんありましたよ。必死でしたね」
でもそれから、滝さんは横浜のあちこちのライブハウスで声がかかるようになっていきました。
「横浜の町が歌え、と言ってくれている気がしました。ありがたかった」
しかし、またそんなある日、思いも寄らない話が持ち上がりました。東京で、店をやらないかという話でした。
「六本木の一等地でした。滝さん、出世だなあと、横浜のみんなは大喜びで祝ってくれて、壮行会をしてくれて、バスローブのプレゼントまでもらいました」。
ところが、見送られて車で東京へ向かう途中、悪夢のような出来事が。
「『あの話はなかったことにしてくれ』と。仕方なく、途方もない気持ちで、横浜の友人に電話すると、今度はまた『戻って来いよ』と、笑い飛ばしてくれたのです」
小一時間ほど経ってさっきの壮行会の場所に戻った滝さんに、横浜の人たちは、滝さんの翌月のスケジュールを真っ黒に埋めておいてくれたのでした。
「泣きました。そんなことってありますか。僕は横浜で歌い続けようと心に決めました」
横浜の人たちの滝さんへの愛情は、滝さんがそれだけ横浜の人たちに愛情を注いできたことの裏返しだったに違いありません。
滝さんは、2001年、馬車道にパラダイスカフェというライブハウスをオープン
しました。そこには上田正樹、桑名正博、BORO、レイニーウッドというような名だたるソウルフルなミュージシャンたちが演奏を重ねています。
「11月16日、関内ホールでの40周年コンサートには、上田正樹さん、BOROさん、根本要さん(スターダストレビュー)、中村耕一さんら、名シンガーであり、友人であるみなさんが集まってくれます。ぜひ聴きにいらしてくださいね」。
熱い熱い夜になることは間違いなさそうです。
海に近い横浜という町には、海の香りがしています。
「横浜の海というのは、故郷の大分の海とは全然違う匂いがします。潮の匂いだけじゃなくて、大きな船がこぼす油の匂いが少しする気がする。色もね、少しどんよりしていて、真っ青、ということはないのです。でもここはもはや、私の故郷のようなものですから、それすら愛おしい。ここに住む人のあったかさに似ている気がするのです。相手の体温が近いところにある気がします」
意外にも、ハーブの香りも大好きだそう。
「ラベンダーは清潔感があって、落ち着く香りだし、大好きですよ。爽やかなラベンダーの香りのなかで過ごしたい願望はありますが、売っている店には照れくさくて入れません(笑)」
香りには「気持ちを鼓舞するものがある」と、滝さんは言います。
「昔ね、女房がシャネルに勤めていたので、エゴイストという香水をもらったのです。これはね、何かつけていると鎧をまとったような、よしいくぞという気持ちにさせてくれて好きでした。でもだんだん、周りから同じ香りが漂い始めて、それをつけている人がたまたま嫌な感じの男性だったりすると、またがっかりしてね。おかしなものですね。それで、止めてしまいました」
指輪もネックレスもピアスも、身につけるのは嫌だという彼。
滝ともはるには、香らないという男くささ、だけで十分なのではないでしょうか。
取材・文 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
http://moriaya.jp
https://www.facebook.com/aya.mori1
撮影 ヒダキトモコ
https://hidaki.weebly.com/