登紀子さんの人生はまるで大河ドラマのようですが、彼女自身は、それを今の人たちがドラマにするのは難しいかもと微笑みます。
「恋もピンク色じゃないの。物寂しくて暗くて、どちらかが静かに語り、どちらかが淡々と受け入れるもの。大声を出したり、感情をぶつけたり、許せないとか、そういうのはなかった。激動なかに、ある種のクールさがあったわね」
そんな静かな青い炎のような恋のなかに、思い出す香りがあります。
「結婚前、藤本が『ばあばん』と呼んでいた祖母の家で、こっそり会っていたの。
藤本は訳あって5歳までそこで育ててもらっていたのです。近鉄大阪線の長瀬という駅の駄菓子屋さんでした。そこのお店の奥に庭があって、さらに奥に母屋があって。仏壇が置いてあって、そこからお線香の香りがしました。お線香の香りをかぐと、今でも自分のすべてがあの場所にすっぽりはまった気持ち良さを思い出します」。
1969年から、半世紀。
「私は2019年に人生4幕目を開けました。夫が他界して18年。彼と私の周りの人たちも続々と人生のピリオドを打っていきます。そんな今思うのは、歌というものが人の歴史だということ。歌うことは、本にもならない無名の人たちの気持ちを残していくことなのです。私の歌手としての成功は、私が生きてきた背景や人々が抱えてきた思いを歌って来たということなのだと思います」
今もその思いをひたひたと。4〜5月には、新曲『未来への詩』(みらいへのうた)が、NHKラジオ深夜便で流れています。
遠い昔から 人は唄い続けた どんなにくらい夜にも 朝が来るように
なぜだか、今の世相に必要な言葉が並んでいます。
「6月28日の渋谷・オーチャードホールでのコンサートは、これまでの55年を1部で、これから手渡したいものを2部で歌っていくつもりです。本当に不安な世の中ですが、人と人が出会っていく機会を絶やさないことは大切ですね。あしたが来ることを信じて日々を繰り返すなかで、祈り、手をさしのべ、心を捧げたい。それが私が歌うことの意味だと思います。皆さんとともに朝を迎える準備をする歌だと思って、聴いてください」
人と向き合い、自分と向き合ってきた半世紀。それは歌うことと向き合うことでもあったのでしょう。はかりしれない葛藤や情熱をクールな言葉の後ろに燃やし続けて、歌い続ける登紀子さんの姿をずっと追いかけていたいです。
取材・文 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
http://moriaya.jp
https://www.facebook.com/aya.mori1
撮影 ヒダキトモコ
https://hidaki.weebly.com/