着物を着る、着付けるということからコミュニケーションや生き方までを嗅ぎ取っていく伊藤さんは、やはり禅寺に育った人ならではの感性をお持ちなのでしょう。
彼女が子どもの頃から慣れ親しんだ香は、白檀。
「白檀の香を聞くと、実家を思い出しますね。お香とともに、畳の香りも。雨上がりの土の香り、草が濡れた時の香り。自然の香りとともに育ってきました。禅語にも、美しい香りを表現した詩があります」
伊藤さんが教えてくれたのは、こんな詩です。
「掬水月在手 弄花香満衣」
…水を掬いとれば月が手にあり
花を弄べば香が衣に満ちる…
そんな意味だそうです。
「昔の人は自然のなかにある香りに敏感で素晴らしい感覚を持っていたのですね。些細なことに鈍感にならず、そばにある楽しみを味わいたいです」
そういえば着物というものは日本の自然、四季の暮らしと寄り添いながらあったもの。
「日本の暦は七十二節に分けられるんですものね。田植えはそのうちいつなのか、ひと雨ごとの生活の指針がありました。今は地球温暖化で随分気候変動もありますが、もう一度その一つずつを確かめるのもいいことかもしれません」
季節の些細な移り変わりに気づく。自然の変化をじっと見つめる。それはまた人が自分自身が生を確かめることでもあるのです。
「着物の着付けの生徒さんを見ていると、着物を習い始めてきらきらしていくのです。そして健康になっていきます。帯で姿勢が整い、呼吸が整うからです。またお腹、腰といった体の大事な場所を温めてくれます。これを調身、調息、調心と言います。『着物を着ると苦しい』と思っている人は、苦しい着方をしているのでしょう。リラックスして生地を載せるように着る。そうすれば、健康にも美にもこんなに良いものはないのです」
着付けだけでなく、着物に合わせる新しい小物を職人さんと商品開発も手がける伊藤さん。この日のストールも軽くて柔らかい一品。
「重たいストールは衣紋が崩れます。またつるつるした素材だと滑り落ちてしまう。これはしぼがあり、すべらず軽い結城紬の素材を使い、愛知の有松絞りの技法で手絞りしていただきました。着付けを教えることも大事にしていますが、ものづくりも大事にしています。和に触れて幸せな気持ちになれる方が増えて欲しいですね」
伊藤さんの佇む景色そのものが、和の美であり、幸せな気持ちへと誘う理由が少しわかったような気がしました。
着物の魅力を伝える彼女の役割はこれからもますます必要とされていくことでしょう。
取材・文 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
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https://www.facebook.com/aya.mori1
撮影 初沢亜利(はつざわ・あり)
1973年フランス・パリ生まれ。上智大学文学部社会学科卒。第13期写真ワークショップ・コルプス修了。イイノ広尾スタジオを経て写真家として活動を始める。
東川賞新人作家賞受賞、日本写真協会新人賞受賞、さがみはら賞新人奨励賞受賞。写真集に『Baghdad2003』(碧天舎)、『隣人。38度線の北』『隣人、それから。38度線の北』(徳間書店)、『True Feelings』(三栄書房)、『沖縄のことを教えてください』(赤々舎)。
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