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  • 第16話 本日のお客様への料理『会えない夜のシュクメルリ』

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🥂Glass 3

 幸はあえて軽く聞いてみた。

「佐伯さん、今日、どうしてるんでしょうね」

 沢が咳払いし、ちょっと眉をひそめて、人差し指を上に上げた。

「製作期間中なんで、スタジオに閉じこもっていて」

「坂の上のおうちに、ですか。そういえば、ここ数日はここにもお見えになっていないですね」

「そんなにしょっちゅうここに来るんですか」

 怒ったような顔になった沢に、幸は「いえいえ、そうでもないですよ」と嘘をついた。
 沢と佐伯のLINEには「うん」「やってる」「生きてる」という佐伯からの返信が、沢の長文の後に添えられていた。沢はまさかそれをに他人に見せるようなことはしなかったが。

「洸さん、ここにこもるときは、誰も入れないんですもんね」

 恭仁子はにんまり笑った。ツヤツヤの頬にエクボができた。華奢でバンビのようなこの人のことを、佐伯はずっと愛しく思っている。幸はその笑顔に何か納得できるような、そして納得してしまうと自分の心にくぼみができるような一抹の寂しさを感じていた。

 沢は、恭仁子のほっこりした笑顔を見ると、なんだか居ても立ってもいらなくなって、立ち上がった。

「私、ちょっと行ってきます」

「落ち着いて」

 全部を聞いていた矢作夫人が、沢の肩に手を置いた。

「すべてをシャットアウトして、創作に立ち向かう。男の人がそう決めたんだから、それは邪魔しちゃいけないでしょう」

「… そう、ですね」

 すとん、と沢は腰を下ろした。
 ここにいる女性たちは全員、佐伯に会いたいのだった。
 幸は、とりあえず、みんなの心を鎮める一皿をつくろう、と思った。

🥂Glass 4

 「ね、なんか、食べませんか」

「いいわね、お腹すいちゃった」

 矢作夫人はそう言ったが、恭仁子と沢は黙っていた。お互いに何か牽制するような、探り合っているような雰囲気がキープされている。

「今日も佐伯さんに会えないんだったら、こっちも会えなくなっちゃうような料理にしましょう」

「会えなくなっちゃう料理?」

「ちょっと待ってくださいね」

 幸は冷凍庫からにんにくの微塵切りを小分けしてあるものを4つ取り出した。4かけ分だ。
 ぶつ切りにした鶏もも肉と、カリフラワーも。
 まずは鶏もも肉に塩胡椒し、軽く小麦をまぶして、たっぷりのバタで焼き、一旦取り出した。
 そこへにんにくを入れ、少し香りがでたところでフェネグリークとコリアンダーシードパウダーを入れ、カリフラワーも合わせて炒める。にんにくと二つのスパイスがバタの上で合わさると、なんとも言えない芳香になる。中華料理の時のようにがっつりにんにくだけが香り立つわけでもなく、まろやかに異国の台所から流れてくるような香りになるのだ。そこへ鶏を戻し、ミルクを注いで、10分ほどとろみが出るまで煮る。最後に溶けるシュレッドチーズを散らして黒胡椒をがりがり削る。

「なんかいい匂い」

 恭仁子が鼻腔を広げて顔を左右に振る。そんな顔をしても仔犬のような可愛さがある。
 幸は器によそいながら、解説した。

「ハーブのいい匂いの奥にはがっつりにんにくが入ってますから。誰にも会えないくらいの」

「やだー」

 矢作夫人が急に女の子のような声を出して両手を頬に当てた。みんな笑った。
 幸はぽつりと言った。

「にんにくの香りは共犯にならなくちゃ」

 沢が尋ねた。

「これはなんていう料理なんですか」

「シュクメルリ。ジョージアの名物らしいです」

「ジョージアといえば、この間の! 佐伯さんが弾いてくれた! アザラシの!」

 沢の顔色が変わった。
「佐伯が?弾いたんですか、ここで」

 幸はアザラシヴィリ、と訂正したかったが、それよりもここで佐伯が弾いたことはやっぱり許されたことじゃなかったのだと気づき、慌てた。

「いやいや、あの、ほら、食べてください。パンも焼けましたから」

 幸は取り分けた小さい器を、さっと沢に差し出した。
 なんとも優しくなったにんにくの香りが、沢の鼻腔にも届いた。

「いただきます」

 沢はまだいぶかる様な顔でひと口スプーンで口に運ぶ。途端に、目を見開いた。

「美味しい。濃厚なのに、スルッと入ってくる」

「良かった。オレンジワイン開けますね」

 幸は、storiというジョージアのオレンジワインを手に、コルクを開けた。

 そのとき、ドアも開いた。

「あ。あれ、なんかいろんな人がいる」

「あーっ」

 そこにいる女性みんなが合唱した。
 ハーブをまとっておしゃれしたにんにくの香りに誘われてやってきたのは、みんなが会いたくて会えなかった、佐伯洸だった。

筆者 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
http://moriaya.jp
https://www.facebook.com/aya.mori1

イラスト サイトウマサミツ
イラストレーター。雑誌、パッケージ、室内装飾画、ホスピタルアートなど、手描きでシンプルな線で描く絵は、街の至る所を彩っている。
手描き制作は愛知医大新病院、帝京医大溝の口病院の小児科フロアなど。
絵本に『はだしになっちゃえ』『くりくりくりひろい』(福音館書店)など多数。
書籍イラストレーションに『ラジオ深夜便〜珠玉のことば〜130のメッセージ』など。
https://www.instagram.com/masamitsusaitou/?hl=ja

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