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    第2話 『有紗の事情』

《4》

 シャンパンはブーブクリコだった。そのラベルまでが、黄色だ。

「あの、これ、シェフからのプレゼントです」

 有紗はうれしそうに言って、栓の上に白いクロスを載せてから聞いた。

「あけちゃっていい?」 「あけちゃいましょう」

 ぽん、と音がした。フルート型のグラスに注がれると、泡はふわふわと立ち上り、ぷつぷつと消えていく。

 3人は最初の乾杯をした。

「シェフは有紗さんのご主人なんですか」
 唐突に未知が聞いた。
 有紗はシャンパンをひと口飲んで言った。
「まあ、そんな感じ」
 そう言ってから、ちょっとテーブルに視線を落として、言い換えた。
「まだ籍は入れてなくて」
 麻貴は、未知と目を合わせようとしたが、未知は有紗を不思議そうにじっと見ていて、無邪気に質問を重ねた。
「一緒には住んでるんですか」
 有紗は口を結んで、頷いた。麻貴は小さく咳払いした。
 そのとき、扉が開いて、目の覚めるようなブルーのワンピースを着た多美子が入ってきた。
「ごめんなさい、遅くなって〜。車混んじゃってねえ」
 大きな、よく通る声だった。雑誌の入った小さな紙袋と、資料が入っているらしい、大きな紙袋を下げ、肩にはボッテガ・ヴェネタのカバをかけて、ジミー・チュウの9センチはあろうかというサンダルを履いている。
 多美子が席につくと、少し革の匂いが混じったようなローズの香りが漂った。
「さ、乾杯乾杯」
 有紗がシャンパンを注ぐと、4人は正式な乾杯をした。
「あー。美味しいねえ…。で、なんの話してたの?」
 場にぐいっと入ってきたその多美子の勢いに、麻貴と有紗は顔を見合わせて、ぷっと吹き出した。
 未知が落ち着いた顔で淡々と言った。
「有紗さんとシェフの関係について、聞いていたんです」
 それを聞くと、麻貴と有紗はさらに笑った。
「そうなんです。取材されてたんですよ」
 多美子はうんうん、と身を乗り出した。
「へえ。じゃ、続きを聞かせてよ」
「その前に、前菜を出していいですか」
 静かに微笑んで有紗は席を立ち、冷蔵庫からカルパッチョのお皿を4つ取り出して、仕上げのソースをかける。
 多美子は店を見渡した。
 アンティークの椅子とテーブル。ラリックのようなアールヌーボーっぽいすりガラスの照明。古いものを置きつつ、隅々まで清潔感のある、居心地のいい空間だと感心した。
「趣味がいいね」
 その声に有紗が、お皿をテーブルに運びながら言った。
「シェフの趣味なんです。神戸のショップで色々選んでもらってもってきました」
 多美子はにっこりしてお皿に手を添えた。
「わー、きれい」
「鰹のカルパッチョ、林檎のソースです」
 3人は口々に美味しい、とつぶやいた。
 多美子はふと気づいた。
「それはそうと有紗さん、神戸って言ってたけど、関西弁出ないね」
「シェフと話すときは、神戸弁になっちゃいますけど」
「愛を感じるねえ。ご主人なの?」
「いえあの、…さっきも話してたんですけど、一緒には住んでるんですけど、籍はまだ入ってないんです」
「なんか、訳があるのね」
「訳ってほどではないんですけど」
 有紗は二人が不倫は嫌でなかなか付き合えなかったこと、シェフの奥さんが浮気をしていたのがわかって、付き合い始めたこと…などをさくっと話した。
 未知は目を丸くしていたが、有紗がみんなのお皿を下げてスープを取りに行ったとき、小声で多美子に言った。
「すごいですねえ。本物の取材を見ました」
 多美子はちょっと睨むような顔をした。
 冷たいビシソワーズは、軽く焼いたアーモンドが散らしてあり、まろやかでやさしい味がした。
 今度は麻貴が聞いた。
「有紗さん、結婚したい?」
「うーん… こっちへ来て一緒に住み始めて、本当に忙しくて、やることがいっぱいあって、どんどん恋愛みたいなことがなくなっていって… その、仲は悪くはないんですけど…」
 麻貴があっさり言葉を継いだ。
「ああ、なんとなくわかる。しなくなったんでしょ」
 あっさりそう言うと、スープをすすった。麻貴は41歳。結婚して6年になる。
子どもはいない。
「有紗さん、いくつだっけ」
「36になったばかりです」
「子ども欲しい?」
 有紗は小さく頷いて、次のお皿を取りに席を立った。
「この話はこれでおしまい。さ、メインもくるし、飲もう飲もう」
 多美子は明るくシャンパンのボトルを手にしたが、空っぽなのに気づいて、立ち上がった。
「私、ソムリエしてもいいかな~」
 有紗がにこっと笑って頷いた。誰かにこんなに深い話をしたのは、東京に来て初めてだと思った。そして、胸の底にあったワインの澱のような思いを言葉にできたことで、意外にも気持ちがすっきりするということに驚いていた。

To be continued…

★この物語はフィクションであり、実在する会社、事象、人物などとは一切関係がありません。

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作者プロフィール

森 綾 Aya mori
https://moriaya.jimdo.com/
大阪府生まれ。神戸女学院大学卒業。
スポニチ大阪文化部記者、FM802編成部を経てライターに。 92年以来、音楽誌、女性誌、新聞、ウエブなど幅広く著述、著名人のべ2000人以上のインタビュー歴をもつ。
著書などはこちら

挿絵プロフィール

オオノ・マユミ mayumi oono
https://o-ono.jp
1975年東京都生まれ、セツ・モードセミナー卒業。
出版社を経て、フリーランスのイラストレーターに。 主な仕事に『マルイチ』(森綾著 マガジンハウス)、『「そこそこ」でいきましょう』(岸本葉子著 中央公論新社)、『PIECE OF CAKE CARD』(かみの工作所)ほか
書籍を中心に活動中。

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