《4》
未知は早めの夕食を高井一家と共にし、まだ改装中の壁の剥がれた離れを希望と一緒に少し見た。希望が駅まで送るというのに従い、二人は連れ立って歩き始めた。
披露宴の招待状を出すのはここ数日だ。正直、今なら辞められる。… そんな思いが未知の胸にぼんやりあった。それはまるで始発の電車から見る隣駅の朝もやのように。
もうすぐ駅に着くという頃、希望はそんな未知の心の中を見透かすかのように言った。
「もうやめちゃおうとか…思ってるかな」
そして隣を歩いている未知の手を誘い、駅のベンチに二人で座った。
「あ、ちょっと待って」
希望は自販機で小さい缶コーヒーを二つ買った。
「寒いから」
二人は冷たい手を缶コーヒーでしばらくあたためて、蓋をあけた。
コーヒーの湯気と香りが鼻の頭をあたたかくした。
「僕、ずっとあの母親には反抗してきたから。言われた学校にも塾にも行かずにさ。でも結局、この歳になって、鎌倉のあの掘建小屋を借りるくらいの稼ぎしかなくて…。
結婚しようとかって、ハナから無理な話なんだよね」
その言葉に未知は驚いた。ひょっとして「やめちゃおう」と思っているのは希望も同じではないのか。
でもそう思うと、未知はなんだか急に「やっぱりこの人と結婚しなくちゃいけない」という気持ちになってきた。
「よくわかんないんだけど。… 私は…」
「うん」
首を切られる覚悟ができているというような希望の返事に、未知はきっぱりと答えた。
「私は、離れたくない」
「え」
「せっかく、好きになれた人と、もう、離れたくない」
「未知さん」
「だってもう、こんな気持ちになれるかどうかわからないし」
希望は未知の代わりに缶コーヒーを両手でしっかり包んで言った。
「ありがとう。僕も、君がいてくれたら、頑張れると思う」
上町駅の夜の19時半には、人がたくさん居た。まだ初詣の破魔矢をもっている人も、子どもたちも。
だから二人は、同じ缶コーヒーを黙って飲んだ。きっとお互いの唇には、同じ缶コーヒーの香りがするだろうと思いながら。
To be continued…
★この物語はフィクションであり、実在する会社、事象、人物などとは一切関係がありません。
作者プロフィール
森 綾 Aya mori
https://moriaya.jimdo.com/
大阪府生まれ。神戸女学院大学卒業。
スポニチ大阪文化部記者、FM802編成部を経てライターに。
92年以来、音楽誌、女性誌、新聞、ウエブなど幅広く著述、著名人のべ2000人以上のインタビュー歴をもつ。
著書などはこちら。
挿絵プロフィール
オオノ・マユミ mayumi oono
https://o-ono.jp
1975年東京都生まれ、セツ・モードセミナー卒業。
出版社を経て、フリーランスのイラストレーターに。
主な仕事に『マルイチ』(森綾著 マガジンハウス)、『「そこそこ」でいきましょう』(岸本葉子著 中央公論新社)、『PIECE OF CAKE CARD』(かみの工作所)ほか
書籍を中心に活動中。