7年前までは書道家として書き続けていた原さん。なんと筆を持ち始めたのは、2歳のとき。
「3つ上の姉がいて、近所の書道教室に通っていたんです。生まれついての負けず嫌いで真似したがり屋の私は『私も書道教室に行きたい』と。母は『やるからには一番を取らないとダメよ』という人で、熱心に応援してくれました」
なんと、幼稚園の頃には、いくつも賞をとるほどに。
「はっきりとは憶えていないのですが、いくつも賞をとって褒められたので『私、結構いけるかな』と思っていたような気がします(笑)」
小学校に上がると、夏休みには朝5時から夕方5時まで、書道教室で書いていたそうです。
「おじいちゃんおばあちゃんがやっている書道教室で『朝5時には起きてるよ』とおっしゃったので、それなら、と。母はつきっきりで、休憩は昼の30分のお弁当タイムのみでした。そう言うと厳しいように思われるかもしれないけど、母はとてもおっとりした人なんですよ」
それでも小学生の原さんは、書道を嫌いになることはなく、楽しんでいました。
「畳の匂い、墨の香りを嗅ぐと、今もそのときの光景を思い出します。どこに誰が座っていたとか、教室のここに墨がついていた、とか」
畳の香り。墨の香り。それを今も良い香りだと思い続ける彼女は、真から書の世界が好きなのでしょう。
神田明神文化交流館での個展でも、1枚1枚の作品に技法や額縁へのこだわりを追求した様子。お面に描かれたものや、屏風に描かれたものもありました。自身の世界の広げ方は無限にありそう。
「キャンバスや紙に書くだけでなく、素材にもどんどん挑戦していきたいと思っています。もっといろんな風に、自分の世界を世界で見てもらいたい、と強く思っているんです。スニーカーに絵を描いたものを持っていったら、白い靴を持ってきて『描いてください』と言った人もいましたね。洋服やファッションにも活かせたら楽しい」
彼女の描く絵は、白や黒で描いただけでも、なぜか色を感じます。
「強弱、感覚、技術。… 私ができること全てで、書=モノクロ、という概念を崩したいんですよね。書道って子どもか歳を重ねた人がやるもの、っていうイメージも崩したい。色んな人が見て感動するもの、愛されるものとして伝えていきたいんです」
ニューヨークへ飛ぶ飛行機の中でも、13時間、書き続けていたという原さん。
「機内でずっと書いていたので、あっという間に着いてしまいました。やりたいことがあふれてくるんです。世界中を自分の脚で巡って、世界のアートを見ながら、自分のアートの居場所を見つけたいですね」
原愛梨さんのアートにはまだまだ新しい翼が生まれていくことでしょう。7つの翼のある梟には、彼女の無限の可能性も潜んでいるのです。
取材・文 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
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撮影 萩庭桂太
1966年東京都生まれ。
広告、雑誌のカバーを中心にポートレートを得意とする。
写真集に浜崎あゆみの『URA AYU』(ワニブックス)、北乃きい『Free』(講談社)など。
公式ホームページ
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