伊藤さんには三人の子どもがいる。彼が母親に「お金で買えない財産」として音楽をもらったように、とりあえず音楽に触れさせているという。
「音楽という信頼を通じて人とつながれるということに、本当に感謝しています。今、子どもたちにバイオリンを習わせていますが、将来どうしてもやって欲しいとは思いません。音楽をやる楽しみと、課題を達成する強さをわかってもらえたらと思うだけです。だって、人生、いろんな局面があるじゃないですか。それを乗り越えられる強さを身につけて欲しいんです」
与えられるのは技能ではないことを、伊藤さんは知っている。
「オーストラリアから日本に帰国したとき、きんもくせいの香りを初めてかいだんです。甘酸っぱい、あのいい香りのなかで『この先どうなっていくんだろう』という不安と期待が入り混じった、締め付けられるような気持ちになりました。大人になると、なんでも予測がついたりして、感動が薄くなることが多いけれど、毎年、あのきんもくせいの香りは僕の『初めて』を思い出させてくれるんですよね」
伊藤さんの音色にある、とてもゆたかで揺るぎないものは、言葉ひとつにもこもっている。
10月から年末に向かって、また忙しい日々が続く。12月24日には中目黒・楽屋で柏木広樹さんとのデュオ・ライブもある。
これからもさまざまな形で伊藤さんの想いが形になっていきそうだ。
「プロになろうとする人たちに向けてのワークショップや、著作もやってみたいです」
人と人が共につくりあげる音の世界がなくならないためにも、伊藤さんのそういう仕事はとても大切になってくる。音楽にとって人間にとって、何が一番幸せなのか、私たちは本当はもう知っているはずなのだ。

伊藤ハルトシ Official Site
https://www.itoharutoshi.com/
取材・文 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
http://moriaya.jp
https://www.facebook.com/aya.mori1
撮影 萩庭桂太
1966年東京都生まれ。
広告、雑誌のカバーを中心にポートレートを得意とする。
写真集に浜崎あゆみの『URA AYU』(ワニブックス)、北乃きい『Free』(講談社)など。
公式ホームページ
https://keitahaginiwa.com
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