さて、ワインといえば、香りもその美味しさの重要な要素。
森さんはどんなふうにそれを覚えていったのでしょう。
「香りを覚えるのは難しかったですね。すごく和食中心の家だったので、フルーツもそんなにいろんな種類を食べてことがありませんでした。だいたい、今でもラズベリー、カシスなんて、普通には食べないですよね(笑)。パイナップルは食べても、パッション・フルーツだマンゴーだってそんなには。それで、大学時代はスーパーや大きなデパートに行って、それらしいフルーツや、スパイスを嗅ぎまくりました(笑)。あるとき万引きと間違えられて『何をしているんですか』『香りの勉強を』『じゃ、買ってください!』と叱られました」
究極的には、有名なソムリエがコメントしている雑誌を見ながら同じワインを飲み、コメントに「カシスの香り」と書いてあるとそれを嗅ぎ取って覚え、わかったところから塗りつぶしていくという覚え方をしたそうです。
しかし、コンクールの、しかもステージ上のテイスティングなど、本当に大変そうです。
「風邪や花粉症で鼻が詰まってたらどうするんですかと言われるのですが、逆に鼻がつまり気味でもこれくらいはわかる、という程度にまでなっておかないとダメってことなんです。3年に1回の大きなコンクールはたいてい春か秋。春は花粉症の季節ですが、僕は新入社員時代からの知り合いの病院に1月から通い始め、投薬のプランを相談します。2016年のアルゼンチン大会では、季節も昼夜も逆転ですから、コンクールの1ヶ月前から昼夜逆転の生活をして、体を慣らします」。
我々一般人も「香り」を覚える訓練は可能だと、森さんは言います。
「まず脳の香りの感知場所と鼻をつなぐ作業をしましょう。たとえばいきなり『ベリーの香り』と言われても、いろんなベリーがある。闇雲に香りを取りに行っても、なかなかわかりません。そこでわかりやすく、ひとつのワインのなかにあるいちごの香り、を覚える。脳にいちごの色を意識しながら。これがいちご。でも、ちょっと近いけど、いちごじゃない。その匂いがないワインを飲んでみる。でもベリーの香りはある。そうすると、ブルーベリーか、ブラックベリーか。そういうふうにひとつの香りの回路を作って、分解していくといいのです」
プロのソムリエはそうやって、何百種類、何千種類という香りをひとつずつ覚えていくのでしょうか。
「まずひとつを嗅ぎ取る。迷ったときは、自分の手首の袖やナフキンの香りをかいで、鼻をリセットします」
実は森さんは子どもの頃から、香りを感じながら生活していた様子。
「3食お米を食べていた家だったのですが、母が水の量を間違えた日の炊飯の匂いを僕はわかりましたね。あ、今日は僕の好みの硬さのご飯じゃないな、って。外に出たときに雨が降る匂いとか。あ、そういえば合宿で先輩が『俺が寝るまでサロメチールでマッサージしろ』って、やらされたから、今もあの匂いを嗅ぐと眠れなくなります(笑)」
豊かに思いきり、自分の人生を生きてきた森さんだからこそ、たくさんの香りの回路が育ったのでしょう。それはソムリエとしての彼の財産でもあります。
ワインを飲むことをさらに楽しくしてくれる、香りとの関わり方を、最後に教えてもらいました。
「まずワインを飲むという欲求を抑えて、香りをかいでみてください。ああ、いい香りだな、と思う一瞬が、さらに飲むという欲求を高めてくれますから」。
絶景のコンラッド東京のレストランで、森さんの勧めてくれるワインと食事のマリアージュは、今日も誰かの忘れられないひと時を作っていることでしょう。
コンラッド東京、イノベーティブ・キュイジーヌ、Accord(アコード)に7月9日から夏限定、ソムリエ森覚さんが厳選する極上シャンパーニュと、世界の食のトレンドを楽しめるプランが登場します。
その他、詳細はホームページで。
https://www.conradtokyo.co.jp/plans/restaurants/dinner/collage_1903
取材・文 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
http://moriaya.jp
https://www.facebook.com/aya.mori1
撮影 上平 庸文(うわだいら つねぶみ)
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