「ああ、食べた食べた」
「美味しかったー」
ヒトミとケイは、店の看板メニューをこぼさず平げ、ご満悦だった。
お酒が入ると3人漫才に拍車がかかり、今の生活のしんどいことも笑いに変えて、お互いに涙が出るほど笑った。
中華街を出て、幸の店まで腹ごなしに歩くことにした。幸はもうすっかり東に住んで長いのに、2人に会うとあっという間に関西人に戻る自分に驚いていた。
意外だったのは、2人に会ったら昔の仕事モードが戻ってくるかもと案じていたのが、杞憂だったということだった。
人間の記憶は、都合の良いことを残して、たいてい消えてしまってしまうものなのだろう。
それに腕を組み、絡まって歩く2人のすぐ後ろを歩いていると、なんとも言えないあたたかい気持ちでいっぱいになった。
年下の自分が、店の「ママ」であり続けられたのは、彼女たちが「ママ」として扱ってくれたからだと、しみじみ思った。それはずっと気付いていたけれど「ママ」として働く以上、あの時の若い自分は、毅然としていなければとそればかり考えていた。
この2人がいてくれたから、自分はやって来れた。そう思うと、あたたかい気持ちが目の中へまで上がってきて、溢れてしまいそうになった。
「ママ、大丈夫ですか。酔うてないですか」
振り向いて、ヒトミが言った。酔っ払いは、自分より他人の方を酔っ払いだと思うようだ。
「はい。大丈夫です」
店に着くと、2人は手前のカウンターに遠慮がちに座った。
「奥へ、座ってよ」
幸は2人を、奥のカウンターへ誘った。
「〆は、ビールですかね」
ヒトミが言うのを、ケイは制した。
「いやもう、お茶、もらおう」
冷たい緑茶を飲んでいると、酔いが覚めてきたらしく、ケイが店を見渡して言った。
「ええ店やな。やっぱり横浜やな」
幸は言った。
「東京は人が遠すぎる。大阪は人が近すぎる。今の私には横浜がちょうどええ。こうやって、遊びに来てもらえるしな」
「わかるわ。なんかわかる。人付き合いの距離やろ」
ケイは小さくため息をついた。ヒトミが言った。
「わからんわ、ママ、なんかちょっとだけ食べたい」
「言うと思った」
幸は待ってました、と、冷凍庫から凍らせた出汁と、凍らせたご飯を取り出した。
「新生姜とお揚げさんの炊き込みご飯、食べる?」
「食べる!」
2人は唱和した。
鰹と昆布でとった出汁を溶かし、絹ごし豆腐と大粒のなめこを入れ、味噌を溶かす。
ご飯を温め、土ものの茶碗にほっくりと盛りつけた。
「生姜、ええ匂い!」
新生姜は、体の奥をあたためて、今日の酒をゆっくりと送ってくれるだろう。
「大阪は離れても、近いな」
味噌汁の湯気の中で、幸はふと、ひとりごちた。
筆者 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
http://moriaya.jp
https://www.facebook.com/aya.mori1
イラスト サイトウマサミツ
イラストレーター。雑誌、パッケージ、室内装飾画、ホスピタルアートなど、手描きでシンプルな線で描く絵は、街の至る所を彩っている。
手描き制作は愛知医大新病院、帝京医大溝の口病院の小児科フロアなど。
絵本に『はだしになっちゃえ』『くりくりくりひろい』(福音館書店)など多数。
書籍イラストレーションに『ラジオ深夜便〜珠玉のことば〜100のメッセージ』など。
https://www.instagram.com/masamitsusaitou/?hl=ja