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  • 第19話 本日のお客様への料理『花嫁のための小さな卵のサンドイッチ』

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🥂Glass 4

 階下には、多くの人がすでに集まり、アペリティフを楽しんでいた。
 グルメな大城が都内のイタリアンレストランにケータリングを頼み、すでに色とりどりのフィンガーフードが並んでいた。
 大きな生ハムを削り、メロンやキウィと合わせるシェフもいる。
 シャンパングラスが並び、頼まれてサーブするソムリエも、少し顎を上げてスラリと立つ。
 式には出なかったが、このパーティーから参加する人たちも続々やってきた。
 30代も半ばの新婦の友人たちはブラックドレスも多いが、年齢もまだ若いせいか、それなりに華やかだった。
 新郎の友人たちは20代後半なのでまだ学生のような人もいる。着慣れない感じの白ネクタイの礼服姿が微笑ましかった。平服で、というアナウンスだったようで、驚くほどラフなポロシャツのような人もやってきた。

 チリンチリン、とグラスが鳴らされ、音楽が流れ始めた。
 なんと、結婚行進曲から佐伯洸が弾いているではないか。

「一曲だけのはずじゃなかったの」

 驚いた幸は思わず声を出してしまった。よく見ると、ピアノを弾いているのは、なんと、佐伯洸事務所のマネージャーの沢だった。今日はスーツ姿ではなく、光沢のあるグレーのドレス姿だった。
 洸はペールブルーのスーツの下に白いシャツという出立ちだった。いつもは黒の彼が、そんな装いをしているのも新鮮だった。

 新郎新婦が席につくと、音楽は止み、皆、もう一度拍手した。ピーピーという指笛も聞こえた。

「皆さん、今日は、大城くんと凛花ちゃんのためにお集まりくださり、ありがとうございます。
私は、立会人で、大城くんの元上司の倉木です。今日は、司会も、挨拶も入れないということで、始まりの乾杯だけを仰せつかりました。新郎新婦の意向で、今日のこの良き空間と素晴らしい食事を、存分に楽しんでいただきたいとのことです…」

「セルジュさんって、倉木って言うんだ」

 幸は呆気にとられ、またひとりごちてしまった。セルジュさんはセルジュさんで、今まで苗字も名前も知らなかったのである。
 セルジュ倉木は今日はアル・カポネのような縦縞の麻のイタリアン・スーツだった。そして、パナマのボルサリーノを粋に傾けていた。

「では、新郎新婦と、ここに集まった皆様の末永いお幸せを祈って。乾杯!」

 乾杯の発声と共に、佐伯洸はエルガーの『愛の挨拶』を弾いた。人々は、互いに顔を合わせ、乾杯を交わした。知っている人も、今日、たまたまそばにいた人も、微笑んで。
 ここにいる誰もが手放しに、ただただ祝っていた。その気持ちをよりふくよかにさせるのが、洸の奏でるチェロだった。

🥂Glass 5

 建物の外で、佇んでその音色を聴いていた女性がいた。
 たまたま、ヒトサラカオル食堂を訪れ「本日結婚式のため休業」という張り紙を見て、とぼとぼと坂道を登ってきた、岡部恭仁子だった。
  夫が入院中の恭仁子は、寂しさと手持ち無沙汰で、せめて幸のご飯を食べたいとやってきたのだった。
 坂道は途中から急になり、山手のお屋敷の通りにやっと上がると、汗が吹き出た。
 この辺りに、佐伯洸のスタジオがあるはずだ。恭仁子はそう思いながら、それでも表札など見ず、ひたすら歩いた。
 これ以上、洸に関わってはいけないと決めていた。
 左へ行って、駅の方へ戻ろう。だいたい、なんでここへ来てしまったのかしら。

「幸さんに会いたいだけ」

 自分にそう言い聞かせた。彼女は自分が洸への思慕を持ち続けていることを、責めなかったから。「あなたは悪くない」とはっきり言ってくれたから。誰かがそう言ってくれないと、自分を責め続けるしかなかったから。

 重たい胸を抱きながら歩いていくと、ベーリックホールの前から、チェロとピアノの奏でる『結婚行進曲』が流れてきた。
 恭仁子には暫くぶりに聴くそのチェロの生音が、洸のものだとすぐにわかった。
 弾かれたように建物に近寄り、庭園に入った。
 しかし、自分はそのパーティーに招かれた訳ではない。だからそこに佇んで、聴くしかなかった。
 なんて懐かしい、なめらかなびろうどの布のような音だろう。
 音色は黒じゃない。深い藍色。群青色。ロイヤルブルーのような色。
 学生時代、芝生で練習していた、洸と良介の姿が胸に浮かんだ。こんな日差しの厳しい日も、額に汗しながら弾いていた二人の、真摯な横顔。それを見つめていた、ロングヘアーだった若い自分。
 一生懸命なふたりのその姿を、愛していた自分。
 それを映画の一場面ように思い浮かべたが、そこに流れる音は今、一台のチェロでしかない。
 それが急にじわじわと悲しくなった。
 窓から覗き込むのも変な人だと自分に言い聞かせ、彼女はただただ、立ち尽くして、聴いていた。
 空は海のように青かった。若かろうが、歳を重ねていようが、すべてのカップルにとって、いつもサムシングブルーであるはずの、空だった。

第19話 本日のお客様への料理『花嫁のための小さな卵のサンドイッチ』

筆者 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
http://moriaya.jp
https://www.facebook.com/aya.mori1

イラスト サイトウマサミツ
イラストレーター。雑誌、パッケージ、室内装飾画、ホスピタルアートなど、手描きでシンプルな線で描く絵は、街の至る所を彩っている。
手描き制作は愛知医大新病院、帝京医大溝の口病院の小児科フロアなど。
絵本に『はだしになっちゃえ』『くりくりくりひろい』(福音館書店)など多数。
書籍イラストレーションに『ラジオ深夜便〜珠玉のことば〜130のメッセージ』など。
https://www.instagram.com/masamitsusaitou/?hl=ja

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